欅の落ち葉に埋もれた代々木公園、
静かな林の間を北風が抜ける、
曇天の空に木々までもが沈む、
雪吊りの松が雪を待つ、
東京は降っても積もらない、
過日は積雪4センチ、
冬の意匠としてなのか、
縄の端が揺れる、
噴水の近く、
枝を剪定されたバラの中に、
寒空の中名残の幾つかが、
寂しそうに咲いている、
可憐にして、
小さな蕾を付けて寒さに耐える、
黄と深紅、
陽が射してくると、
附けたり、
一般社団法人キリスト教保育連盟
機関紙「ともに育つ」2月号、
「受け入れられた者」
子どもの時に、
私は死への恐怖を強く感じたことがあります。
突然自分に死が訪れ、
家族や友だちから自分が引き離されてしまうことを思うと、
言いようのない悲しみと不安に襲われたのでした。
この気持ちは、
誰に話しても分かってもらえませんでした。
抜け出せない穴に落ち込んだようでした。
小さな子どもたちにも同じことが起こっているのを見聞きします。
自分が周りの者たちから理由もなく無視され続け、
排除されていくことを感じた者は、
自身が強く否定され続ければ続けるほど、
自分の方から自分はここに居ない方が良いのではないかと思いこまされていくと言います。
自分を責める気持ちから来る「孤立感」や「無力感」に耐えられなくなって、
自らの命を絶つことによって、
解き放たれたいと思い詰めてしまうようです。
私たち保護者や保育者は、
わたしは何時もあなたの傍に居ると、
常に全身で伝えていきたいと痛切に感じます。
自分の存在そのものを全身で受け止めてくれる人がいると知った者は、
「死の蔭の谷を行くとも(詩編23編4)」、
なお進んでいけるではないでしょうか。