国立市農業委員でロシアのウラジオストクとハバロフクスへ視察旅行に来ている石井伸之です。
7月13日午後からの様子をお伝えいたします。
昼食後に、アムール湾でイベントが行われているという事から、腹ごなしにそちらへ向かいました。
休日という事から多くの方が集まっております。ロシア軍がスープの振る舞いをするという事から行列が出来ていました。
所々で建設中の建物があり、途中で建設資金が尽きることがあるのは、日本と同じです。
小さな子供が、母親に何かねだっている姿も万国共通で母親が「ニエット、ニエット」(ニエットはダメという意味です)と言っている姿も同じでした。
アムール湾の砂浜では、巨大な風船の中に入って遊ぶ子供やボートに乗っている人などで賑わっています。
桟橋では釣りをする方がおり、釣果を見せていただきました。
続いて、どういった野菜が販売されているのか、スーパーマーケットの野菜売り場を視察しました。
ガイドの方に聞いたところ、ウラジオストクは農地がほとんど無く、新鮮な野菜は周囲の地域や中国から輸入だそうです。
見学したスーパーマーケットでも印刷してある文字から、中国製と思われる野菜が並んでいました。
じゃがいもや人参、玉ねぎなどの根菜類は豊富ですが、葉物野菜の品数が寂しいところです。
そう考えると新鮮野菜がすぐ手に入る日本の環境が恵まれていることを再確認することができます。
それと肉類以外の物価は日本とそれほど変わらないようです。
ちなみにウラジオストク市内で販売されている日本製品は日本で購入する際の三倍程度でした。
店内は撮影禁止なので、お見せすることができないのが残念です。
次に、アムール湾を渡り、APECの会場となり現在は大学として利用されている場所の見学を行いました。
突貫工事だった関係で、外観や内装はイマイチだったそうです。
確かに屋根の部分に不規則な凹凸があり、滑らかな曲線には程遠いことが分かります。
その先にある展望台から、ウラジオストクの様子が一望できるはず・・・・でしたが、周囲は霧が酷い時の朝霧カントリーのようです。
午後7時の夕食では、サラダ、ボルシチ、じゃがいも、焼き鮭、パンというメニューでした。
どうも、明るい時間に夕食を食べることに対して、心と体のバランスが今一つマッチしません。
それでも、料理の味は美味しく、完食です。
ウラジオストク駅に戻り、寝台列車「オケアン号」に乗り込みハバロフスクへ向かいます。
午後9時15分にウラジオストクを出発し、ハバロフスクには午前8時15分到着です。
それにしても、日の入りが午後10時、日の出が午前6時ということから、列車が出発してもまだ夕暮れ時という感じで、どうも体内時計が狂います。
また、寝台列車といっても、普通の座席の幅と変わらない60cm程度の大きさとなっており、体の大きなロシア人では絶対に収まりません。
正直なところ、寝相の悪い私が床に転落しないか気になります。
そんなこんなで休みことができるか心配でしたが、何とかうつらうつらしながら寝ることができました。
それども、揺られていた関係で数時間おきに目が覚めてしまいます。
夜中何度もトイレに起きる体質では無いのですが、揺られていることから、数時間おきにトイレへ行き、それが熟睡を妨げていました。
7月14日に続きます。
7月13日午後からの様子をお伝えいたします。
昼食後に、アムール湾でイベントが行われているという事から、腹ごなしにそちらへ向かいました。
休日という事から多くの方が集まっております。ロシア軍がスープの振る舞いをするという事から行列が出来ていました。
所々で建設中の建物があり、途中で建設資金が尽きることがあるのは、日本と同じです。
小さな子供が、母親に何かねだっている姿も万国共通で母親が「ニエット、ニエット」(ニエットはダメという意味です)と言っている姿も同じでした。
アムール湾の砂浜では、巨大な風船の中に入って遊ぶ子供やボートに乗っている人などで賑わっています。
桟橋では釣りをする方がおり、釣果を見せていただきました。
続いて、どういった野菜が販売されているのか、スーパーマーケットの野菜売り場を視察しました。
ガイドの方に聞いたところ、ウラジオストクは農地がほとんど無く、新鮮な野菜は周囲の地域や中国から輸入だそうです。
見学したスーパーマーケットでも印刷してある文字から、中国製と思われる野菜が並んでいました。
じゃがいもや人参、玉ねぎなどの根菜類は豊富ですが、葉物野菜の品数が寂しいところです。
そう考えると新鮮野菜がすぐ手に入る日本の環境が恵まれていることを再確認することができます。
それと肉類以外の物価は日本とそれほど変わらないようです。
ちなみにウラジオストク市内で販売されている日本製品は日本で購入する際の三倍程度でした。
店内は撮影禁止なので、お見せすることができないのが残念です。
次に、アムール湾を渡り、APECの会場となり現在は大学として利用されている場所の見学を行いました。
突貫工事だった関係で、外観や内装はイマイチだったそうです。
確かに屋根の部分に不規則な凹凸があり、滑らかな曲線には程遠いことが分かります。
その先にある展望台から、ウラジオストクの様子が一望できるはず・・・・でしたが、周囲は霧が酷い時の朝霧カントリーのようです。
午後7時の夕食では、サラダ、ボルシチ、じゃがいも、焼き鮭、パンというメニューでした。
どうも、明るい時間に夕食を食べることに対して、心と体のバランスが今一つマッチしません。
それでも、料理の味は美味しく、完食です。
ウラジオストク駅に戻り、寝台列車「オケアン号」に乗り込みハバロフスクへ向かいます。
午後9時15分にウラジオストクを出発し、ハバロフスクには午前8時15分到着です。
それにしても、日の入りが午後10時、日の出が午前6時ということから、列車が出発してもまだ夕暮れ時という感じで、どうも体内時計が狂います。
また、寝台列車といっても、普通の座席の幅と変わらない60cm程度の大きさとなっており、体の大きなロシア人では絶対に収まりません。
正直なところ、寝相の悪い私が床に転落しないか気になります。
そんなこんなで休みことができるか心配でしたが、何とかうつらうつらしながら寝ることができました。
それども、揺られていた関係で数時間おきに目が覚めてしまいます。
夜中何度もトイレに起きる体質では無いのですが、揺られていることから、数時間おきにトイレへ行き、それが熟睡を妨げていました。
7月14日に続きます。