こんにちは石井伸之です。本日は8月15日の終戦記念日ということで、靖国神社へ参拝してきました。
午前10時半ごろに自宅を出発し、立川駅から中央線に乗り込み中野駅では地下鉄東西線に乗り換え、最寄り駅である九段下に到着です。
到着した早々、参拝される方々の行列ができており、周囲を警戒する警官の方々警備されておりました。地上に出ると、参拝する行列の脇で様々なチラシを配布する人々がおり、大変な混雑でした。
大村益次郎公の銅像前には、写真のように銅版でどういった功績があったのか、称える文章がありカメラに収めてきました。
正午過ぎだけあって大変な混雑をしており、神門をくぐった辺りで大渋滞となっており、炎天下の中を数十分ゆっくりと進み、ようやく参拝をすることができました。私の叔父さん達が若い頃に戦争へ行って来た世代でしたので、様々な話を聞いたことを思い出します。
ちなみに、大戦末期に日立港で軍務についていた叔父さんは、艦砲射撃から軍艦を守るために、沖合いに出て船を待機させることを命令されていたそうです。当時の日立市も現在と同様に大きな港があり、栄えておりましたので攻撃の的になっておりました。
空襲であれば、どこに爆弾が落ちてくるかある程度予測できますが、艦砲射撃はどこからともなく突然沖合いから打たれるので、恐ろしかったそうです。
こういった様々な話を聞いていると、その時代を過ごし命を落とされた方々への感謝の気持ちが自然と沸いてきます。自己満足かもしれませんが、そういった方々へ私が市議会議員として困難な時代を生きた方々へ胸を張れるようにしっかりと働くことを誓う意味でも、靖国神社へ参拝をしてきました。
それにしても、炎天下の中をこうやって多くの方々が参拝に来られる姿を見ると、それだけでも靖国神社に来た甲斐があったというものです。
午前10時半ごろに自宅を出発し、立川駅から中央線に乗り込み中野駅では地下鉄東西線に乗り換え、最寄り駅である九段下に到着です。
到着した早々、参拝される方々の行列ができており、周囲を警戒する警官の方々警備されておりました。地上に出ると、参拝する行列の脇で様々なチラシを配布する人々がおり、大変な混雑でした。
大村益次郎公の銅像前には、写真のように銅版でどういった功績があったのか、称える文章がありカメラに収めてきました。
正午過ぎだけあって大変な混雑をしており、神門をくぐった辺りで大渋滞となっており、炎天下の中を数十分ゆっくりと進み、ようやく参拝をすることができました。私の叔父さん達が若い頃に戦争へ行って来た世代でしたので、様々な話を聞いたことを思い出します。
ちなみに、大戦末期に日立港で軍務についていた叔父さんは、艦砲射撃から軍艦を守るために、沖合いに出て船を待機させることを命令されていたそうです。当時の日立市も現在と同様に大きな港があり、栄えておりましたので攻撃の的になっておりました。
空襲であれば、どこに爆弾が落ちてくるかある程度予測できますが、艦砲射撃はどこからともなく突然沖合いから打たれるので、恐ろしかったそうです。
こういった様々な話を聞いていると、その時代を過ごし命を落とされた方々への感謝の気持ちが自然と沸いてきます。自己満足かもしれませんが、そういった方々へ私が市議会議員として困難な時代を生きた方々へ胸を張れるようにしっかりと働くことを誓う意味でも、靖国神社へ参拝をしてきました。
それにしても、炎天下の中をこうやって多くの方々が参拝に来られる姿を見ると、それだけでも靖国神社に来た甲斐があったというものです。