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住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

小説家・平野啓一郎の言い方

2008-09-01 | 生活描写と読書・観劇等の文化
NHKの衛星テレビの「ブックレビュー」に小説家・平野啓一郎が出演し、最近作『決壊』に絡んでインタビューに応じていた。未だ読んでいないが、上・下のある大作を読んでみようかな、と思った。

平野さんは、衆知のように京大法学部在学中に当時最年少で『日蝕』により芥川賞を1999年に受賞したことで知られる。そこから、ほぼ10年経って『決壊』を発表、話題になっている。

平野さん自身の言い方によると、「『日蝕』以来、過去のことを題材に書いてきて、最近は『決壊』のように現代的問題を題材に書いている。で、将来は、未来のことをモデル的ではなくリアルに(未来事象がリアルと言うのも何だが・・・)描きたい・・・」と。

『決壊』については、公式ブログで次のように言っている。


「『決壊』刊行後、この一月半ほどの間に、数多くの感想と接することが出来て、改めて色々なことを考えました。

とりわけ、終わり方については、様々な意見がありました。

あれをどう解釈するかは、もちろん、個々の読者に委ねられていますが、作者としては、もう一度、「決壊」というタイトルとあわせて、最後の一文を読み直してもらいたいなと何度か感じました。何が起こっているのか。

一般に、自殺する人間に対して、生きたくないヤツは勝手に死ね、みたいなバカなことを言う人がいますが、自殺した人間が、本人の意思として「生きたくなかった」などとどうして言えるのか。

死ぬことで自分を壊すのか、それとも、自分でもどうしようもなく壊れてしまった結果、死ぬのか。単純にそのいずれかとは言えませんが。……

状況を問わず、とにかく生き残れという戦中的な発想が僕は嫌いです。

生きようとする意思は尊重すべきですが、現状そのものに問題があり、システムに明らかに幾つもエラーがあるのに、それを直視して、修復することを考えるのではなく、その条件下でとにかくがんばれと言うのはナンセンスです。


『決壊』で僕がやったことの一つは、どんな形であれ、暴力をヒロイックに描き出すということを拒絶して、それを徹底して「イヤなもの」として描くことです。

単純ですが、僕は基本的に「暴力反対」です。

『葬送』のように、困難な状況の中で、何事かに熱心に取り組んで生きようとしている人間の姿は、深い愛情を以て美しく書きたい。けれども、僕自身が、こうあるべきじゃないと感じ、考えていることについては、醜くしか書きようがないです。

まぁ、それは、あんまり倫理的な面に偏った自作解説で、小説としてもっと見てもらいたいところは色々ありますが、いずにせよ、小説というものが、必ずしも『決壊』のようであるべきだとは考えません。

笑い転げて終わるのも小説。言葉のおもしろさを堪能するのも小説。神話的な英雄が活躍するのも小説。……というわけで、僕自身も、もっとrelaxin'な小説も書きたいと思っています。」(平野啓一郎公式ブログ:http://d.hatena.ne.jp/keiichirohirano/

テレビでの言い方より:(1)自分が、リアルにはなりにくいが、小説ではすぐなれる。(しかし)(2)貧乏を描くのは、貧乏であってはならないという意識、殺人を描くのは、殺人はあってはならないという意識があるから描くのではないか。

と、一寸(1)(2)で「矛盾」も感じる言い方をしていた。

平野さんは、未だ三十台に入ったばかり、将来どう「変身」するか興味がある。「将来からのメッセージを含む次作」にも期待したい。(勿論、彼我の年齢差から最後までは見届けられないが・・・)