西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

「広島は私の街」「人生はあなたに絶望しない」

2008-09-23 | 生活描写と読書・観劇等の文化
ラジオ深夜便でのインタビュー2題:「広島は私の街」新藤兼人、「人生はあなたに絶望しない」永田勝太郎

新藤兼人さんは映画監督、96才で現役(4人兄弟の末っ子、両親、兄弟は皆亡くなっている)、最近、新作で「石内尋常高等小学校 花は散れども」をつくられた。広島の故郷の小学校を舞台とする自伝的映画である。新藤さんの一貫しているテーマは、家族(私と家族、私とお母さん・・・)、学校(私と先生、友達・・・)、広島(原爆、戦争反対・・・)のようだ。

新藤さんが、故郷の小学校の卒業生に宛てた手紙がよかった。趣旨は、自分を良く見つめなさい、相手(友達)も自分を見つめているのだから、相手が何を見つめているかも良く考えなさい、そうすれば自分が何者か分かってきて自信がもてると共に相手のこともよく分かってくるよ・・・。

小学校の先生の「うそをつくな。真っ直ぐに生きなさい」の言は、その後、自分の生き方の基礎。お母さんに「何で私を生んだのよ」などと言ってはいけない、お母さんが生んでくれたからこそ今の自分がある。個人は、人との「つながり」、関係性の中で生きているのだ、ということを生きていく基礎にする。

広島・原爆は、落としたほうは「成功、乾杯!」とやったかもしれないが、落とされた数秒間で市民が何万人も殺されたのだ。一人の後ろには家族がおり親戚がおり先生がおり友人がいる。今も世界で戦争をやっているが、同じく一人が殺されると、その妻がおり子どもがおり、つながっている人々がいる。そこでは生活が崩れ、人間関係が崩れる。(私の言い方では、戦争は人々を生木を裂くようにバラバラにする!) だから、戦争は絶対してはいけない。

新藤さんの全ての作品には、故郷・広島の空気がただよっているようだ。

新藤さんの凄いなあと思ったのは、次の作品のシナリオをもう書いて持っている、というところだ。(建築家・フランク・ロイド・ライトが90歳近くになって「貴方の最高傑作は?」と聞かれて「Next one!」と答えたのに通じる。)


永田勝太郎さんは、浜松医科大学附属病院心療内科科長でNHKの番組紹介によると「ナチスの強制収容所から生還し、『夜と霧』を書いた精神科医ビクトル・フランクルに薫陶を受けた永田さん。筋萎縮症になり一度は人生に絶望したが、フランクル夫人に励まされ両づえをついて大学に復帰。リハビリを続けながら診療活動を行ってきた。永田さんが、フランクル夫妻から学んだ人生観を語る。」とある。

筋萎縮症になって、寝たきりになった時、「もう駄目だ」と思ったが、フランクル夫人の励ましの手紙がきた。趣旨「あなたが人生に絶望しても、人生はあなたに絶望していない。待っている人がいるかぎり・・・」があったが、「人生はあなたに絶望していない」の部分が良く分からず何十回と読んだらしい。

当時、主宰していた医局から医師が離れ、患者も離れていったが、若い学生が見舞いに来てくれて「早く元気になって教室に帰ってきてください」と言われたのが転機、「よし、以後は医学教育にかけよう」となって生きる希望が出てきて、西洋医学以外のものを色々試した。元々、フランクル先生の薫陶もあり、「全人医療」を目指していた。体だけでなく、心、取り巻く社会環境そしてフランクル先生の言う「実存的乗り越え(?)」の四つの要素に注目して診療していた。

それで、近くの老婦人の鍼灸師に毎日来てもらって、鍼灸をためした。これが良かった。その技術もそうだが、老婦人の人柄がよかった。愚痴も聞いてくれた一緒に泣いてくれた。(まあ「全人治療」と言いうる)
リハビリもきっちりやった。今では杖もつかず、医局に復帰し、教育現場にも復帰している。(西洋医学からスタートしているドクターが、このように東洋医学その他も含め「全人医療」に移行しているのが心強い。)

今晩も(2)が聞かれますよ。

(写真は、永田勝太郎さん)