西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

AL VE からMILVEへ

2006-05-28 | 言語・字・言語遊戯
秋田駅のAL VE(アルヴェ)の話を秋田大学で開かれた日本家政学会の受付手伝いをしていたボランティア「あきたコンベンション応援団」のご婦人方にしていたら、「それに刺激されて大森動物園の愛称命名でMILVE(みるべえ、見ようよという意味)というのがが採用された」と一人のご婦人が言う。それはドイツ語の「MILDE(英語のMILD 優しい等)」(見るで)が変形したもののようだ。「見るで」というと関西弁っぽいので秋田弁の「みるべえ」になったとのことだ。秋田の人は言葉遊びが好きなようだ。

AL VEのこと(秋田駅東口)

2006-05-28 | 住まい・建築と庭
AL VE(アルヴェ)の建物は、大きな3~4階位の吹き抜け空間を持っている。その天井のメッシュの枠は木製で秋田杉の集成材という。秋田駅という玄関口に地元材を使った建物があるのは良い。私は、ふと去年の9月に行ったノルウエーのオスロ空港を思い出した。その建物は床も手すりも梁も木だった。「ノルウエーは木材の国!」という強烈なメッセージを与えるものだった。(ブログ05年9月22日参照)それに対して秋田駅のAL VE(アルヴェ)の建物は中途半端をいなめない。柱は鉄骨だし、床は集成材だが何材だかわからない。全体として木を良く使っているという印象がない。柱は細い4本の鉄骨を合わせて中途からそれらの4本が四方に開く形となり、四点で天井を支えている。その部分だけ見ていたらバルセロナのサグラダ・ファミリア(聖家族教会、ガウディ作)をふと思い出した。
それらの柱を集成材でもいいから木材で作っていたら、我々にも世界の人々にも強烈な「木の国・秋田」の印象を与えたに違いない。(写真の左低層・中層部がAL VE、右高層部がホテル東横イン)

秋田駅東口の「AL VE」

2006-05-27 | 訪問場所・調査地
日本家政学会第58回大会で秋田に来ている。そして秋田大学のⅠ.先生のパソコンを借りてこの記事を書いている。秋田には,昔,農村建築研究会か何かで八郎潟の干拓事業(新農村計画)の見学に来たときに立ち寄ったことがあるが,それは未だ今のように新幹線が来て駅もすっかり変わったづっと前のことである。秋田駅は,新しくなり改札口は「橋上」にある。その改札口の前に東西に通じる自由通路ができていて,「ぽぽろーど」と称している。イタリア語のポポロー人々ーと英語のロードー道ーの合成語ではないか。(Poporoad)その通路の東口南にできたのが,ここで表題に書いた秋田拠点センターAL VE(アルヴェ)である。これは3-4階建てである。この「AL VE」で日本家政学会の理事会と総会が行われた。私は,この建物を管理している会社の人に「どうしてAL VEと言うのですか」と聞いてみた。「それは天の川対岸のALTAIL(彦星)とVEGA(織姫)を合成したもので,7月にポポロードで東西が結ばれ,建物もオープンしたので出会いを記念に名づけられた」といった趣旨を説明した。なかなかロマンチックな命名と思った。そう言われて良く見るとALとVEの間に☆マークが入っている。「なるほど」と思った後で,家政学会の運営を手伝っている秋田大学の女子学生に「どうして,この建物をAL VE(アルヴェ)と言うのか知ってるかい?」と聞いてみた。するとその一人がすかさず「ここへ来ると何か良いことが”あるべえ!”じゃないのですか」と言った。私は「ウーン」と唸ってしまった。横で聞いていたS.先生は「西村先生,お株を奪われましたネ」と言われた。その学生は,目のくりくりした織姫のような秋田美人だった。(写真は「ポポロード」)

五感の機序(再説)

2006-05-26 | 色々な仮説や疑問
「学部長と語ろう」で「五感の機序」という話をした。要約すると、こうだ。五感は、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚だが、触覚のみ全身に分布し基礎ではないか。
恋愛過程を考えて見ると、視覚から入って、つまり「見て好ましい」と思わないと決して交際は始まらない。次に、しかし「目は口ほどにものを言う」ということもあるにはあるが、それは一定のコミュニケーションの後であって、相手に声をかけねば実際の交際は始まらない。つまり言葉と聴覚である。次に具体的な行動、お茶を飲みに行ったり食事をしたりするのは、味覚であり嗅覚である。そして仕上げが手を握ったりキスをしたり・・の触覚である。与謝野晶子も詠んでいる「柔肌の熱き血潮に触れもみでさびしからずや道を説く君」と。
では死んでいくプロセスはどうか。まず目から衰える、次々に他の感覚も衰えていくが、最後に残るのが触覚だ。死の床で、愛する人と手を握って「ありがとう」と感謝して天国に旅たつのが理想ではないか。
最後に、あのヘレン・ケラーを考えて見よう。彼女は、サリバン先生の献身的努力で、見えない、聞こえない、喋れないの三重苦を克服し、最初に「water」という言葉を発するまでになる感動的人生を歩む。サリバン先生は、ヘレンに残っていた触覚を活用し、抱きしめて「ほめたり」、尻を叩いて「しかったり」して教育していった。まことに感動的物語である。皆さん、君たちには触覚だけでなく他の感覚も十分備わっている。ヘレンより学習するのに有利な条件を持っているのだ。しっかり、勉強しないといけない所以である。皆、頷いていたので一寸は気持ちが通じたかな・・。

市場と広場

2006-05-26 | 地域居住学
「市場と広場」と場、場がついて語呂が良い。これらは、町づくりのポイントではないかと思う。特に西洋では、それらはギリシャ時代の昔からそうだったのではないか。Agoraである。それらは、まあ大袈裟に言って見れば、「個体保存」「種の保存」という動物の二大本能に根ざしている場であるとも言える。つまり、人間は「食い物を取らねば生き続けて」いけないし、「人間同士、特に異性が交流しないと種として生き延びて」いけない。それらを保障する場が市場であり広場であったし、今も根にそれらがあると言える。しっかり計画、形成しなければなるまい。

旧制高校・校章の規則性

2006-05-25 | 言語・字・言語遊戯
昨日、的場輝佳さんと旧制高校卒業生の近藤公夫先生(造園学、奈良女子大学名誉教授、旧制三高最後の頃の卒業生)とで喋っていたら、的場さんが、「ナンバースクール(旧制八高まで)の校章にはアルファベティカルに規則性がある」と言う。私は金沢の出身なので旧制四高に親しんできた。親父も四高(しこう)の文乙の出身であるので校章は北斗七星(四陵星)であると知っていたが、英語で考えたことはなかった。的場さんは、一高から八高までAからHまで、それらから始まるものが校章になっている、と言う。聞いていて「確かに」と思ったが、今回は、私の馴染みの旧制四高まで復習して見る。
旧制一高(東京)校章は「柏の葉」・・Oakだが実はAcorn(どんぐり)
旧制二高(仙台)校章は「蜂」・・・・Bee
旧制三高(京都)校章は「桜」・・・・Cherry
旧制四高(金沢)校章は「四陵星」・・Dipper
以下、五、六、七、八とE,F,G,Hと続いている。(具体的には次の機会に)
これらは、意図してそうなったのか、偶然なのか調べていないが、ご存知の方は教えてほしい。

子は中間子

2006-05-25 | 言語・字・言語遊戯
今日の『朝日』夕刊、「ニッポン 人・脈・記」で米国の柔道八段・芦田幸男さん(82)が戦後、京大大学院の研修生になった時、「中間子理論」でノーベル賞を貰った同じ京大に通う湯川秀樹博士に阪急電車に揺られながら着想の経緯を聞いたら次のような話が返ってきたようだ。妻が産気づき、大阪の産婦人科から電話が来て電車で駆けつけた。「その途中に思い浮かんだんです。赤ちゃんが求心力になって夫婦を密着させる。そんな存在が原子核にあるのではないか」と。
昔から「子は鎹(かすがい)」と言うが、湯川先生にとっては正に「子は中間子」であったのだ。

ダ・ヴィンチ・コードのメッセージ

2006-05-24 | 色々な仮説や疑問
私は過去『ダ・ヴィンチ・コード』(ダ・ヴィンチの暗号)については、06年の4月17日、19日、20日そして30日に本を読んだ感想等を書いている。今回5月20日に全世界一斉に映画『ダ・ヴィンチ・コード』が封切された。その時期に合わせるように本日、平安女学院大学の昼の「チャペル・トーク」でチャプレン(牧師)の古賀久幸さんが「ダ・ヴィンチ・コードのメッセージ」という話をされた。その中でポイントを幾つか言われたが、積極的点を一つだけあげるとすれば、「教会によって抑圧されてきた女性性の回復」という点で『ダ・ヴィンチ・コード』は問題提起をしたとも言えるだろう、と言うことだ。マグダラのマリアがイエスの妻であったと言う説にせよ娼婦だったと言う説にせよ、初期には女性が大きな役割を果たしていたのは間違いないのに、その後の教会は女性を抑圧して(イブがアダムの肋骨から生まれたという聖書の話も女性蔑視である)きたのに対して、男女共同参画が世界潮流になっている現在、異議申し立てをしているのだ。そのことは、キリスト教だけではなく、イスラム教にも、はたまた仏教にも言えるのではないだろうか。女性よ立て!である。

十二支と昔の時刻

2006-05-24 | 2005年4月以降(平女、高槻、学研都市等)
『建築史』の講義で、昔の方角は、十二支で表現したことを説明し(参考5月18日ブログ)、そういえば時刻もそうだったなと思い出したが、ややうろ覚えで「丑三つ時」が何時ごろなのか、とにかく「草木も眠る」というのだから「午前の早い時期」などと言っていたら学生の感想・質問紙にきちんと書いてくれた学生がいて感心した。
とにかく「子(ね)」が深夜の0時、「丑(うし)」が2時と2時間おきに十二支が対応する。従って「午(うま)」が昼の12時で、「正午」「午前」「午後」というのもここから来ている。ところで「丑三つ」は「丑」時と「寅(とら)」時の間を4等分した三つ目で、午前二時と四時の間の「三時半」頃となる。まあ「草木も眠っている」頃、泥棒が活躍する頃である。

人生二毛作、二期作・・

2006-05-24 | 言語・字・言語遊戯
今朝、JRで京都から高槻に走る途中、車窓から「田植え」を耕運機でしている風景が見えた。まだ一部だが、いよいよそういう季節だな、と思った。小学校の教科書では大体梅雨の6月頃に田植え、とあったのではないか。ただ、私が小学校を過ごした金沢近郊では「早場米地帯」で5月に田植えだったと思う。
その風景を見ながら良く言われる「人生二毛作」という言葉が浮かんできた。定年後に「違う作物」を植えて死ぬまでに「もう一花、もう一作」という意味で、60歳頃までの「本業」と違う「花、作」に挑戦、という訳だが「何に絞るのか」中々大変だ。「本業」と同じようなことをやれば「二期作」となるが、これも二期目がより良くなるかというと、これも大変だ。自分は、どちらかなあ、と考えていたら高槻に着いた。いつか「こうです」と言いたいと思う。

孫も出来た「なぞなぞ」

2006-05-23 | 言語・字・言語遊戯
もうすぐ10歳の男の孫が春休みに遊びに来た時にした「なぞなぞ」より。
私が出して彼が答えたもの。・「音」より早いものは? 「光」当たり。 では「光」より早いものは? 「のぞみ」大当たり!  ・「雲」の上には「空」がある。では「空」の上には何がある? 「しど」がある。だって「どれみふぁそらしど」大当たり!で軽く答えられてしまった。小学生用の「なぞなぞ」の本があるようだ。

廊下、階段の意義ー緩衝空間、行為・気分転換空間、収納・展示空間も

2006-05-22 | 住まい・建築と庭
今日の2回生の専門基礎ゼミで私たちの『キラッと輝くいい住まい』(彰国社刊)を読みあわせた。廊下、階段の意義について、単なる交通空間ではなく緩衝空間、行為・気分転換空間、収納・展示空間の意味もあることを読んだ。報告した2回生が「そういう多重な意味があるとは初めて知って驚いた」と発言していた。具体的には本書を読んでほしい。とにかく廊下、階段での意義だけでなく、他の空間ー台所、トイレ等ーでも多重の意味があると思う。どういう多重な意味があるか発見するのが課題なのである。

玉野総合コンサルタント

2006-05-22 | 言語・字・言語遊戯
昨日、奈良女子大での教え子の高岸亜衣子さんが結婚したので私も式及び披露宴に参加してショートスピーチもした。式自体が「人前結婚式」で、私達の38年前を思い出した。(05年11月20日ブログ参照)
ところで、高岸さんの勤めている玉野総合コンサルタントの部長さんが私の隣りに座っておられたので「玉野さんが始められたコンサルタントですか?」と聞いたら、「大抵そういう質問受けます。しかし、そうではなく春日井の玉野川のほとりで生まれたコンサルタントと言うことで、それは庄内川等を通じて伊勢湾、太平洋につながっている。地元を大切にすると共に世界に雄飛(高岸さん等もいるので、雌飛ーしひ?-も含む)するという意味です」と言われた。聞かなければ分らなかった。実際、玉野総合コンサルタントは区画整理などで実績があり、沖縄にまでも支店があるようだ。

永井規男先生

2006-05-22 | 京都の思い出(学生時代)
永井規男先生は、この3月に関西大学の建築学科を定年(70歳か)で退職された。『アルパック・ニュースレター』で知った。永井先生は、私が京大建築学科の学生・院生の頃(1964~1966年頃)、京大で助手をしておられた。福山敏男教授、川上貢・助教授の「建築史」講座だった。福山先生、川上先生については既に私はブログに書いている。(05年12月04日、06年01月29日)永井先生は早稲田の学部を卒業し、京大の大学院に進まれたと思う。私の印象では、生産史を切り開いておられたと思う。今度の『アルパック・ニュースレター』で関大でのお弟子さんの馬場正哲さんが、「建築工匠史、寺院建築、民家建築」の専攻といった具合に書いておられるが、京大では、その「建築工匠史」を鋭意やられていた印象である。福山先生が古代、川上先生が中世、永井先生が近世という分担かなとも思った。丁度、私も「計画学」分野で「生産計画」が重要と学生心に感じていたので、分野が違っていたが気になっていたのだ。今度、『建築半丈記』という『方丈記』をもじった「よもやま話」を本にされたようだ。トイレが洋式すわり型の一穴に統一されると「古い世代の男性」はストレスを感じると言う「トイレ・ジェンダー論」も面白そうだ。

結婚披露宴スピーチ、2000年卒、2002年修了の高岸亜衣子さん

2006-05-21 | 奈良・精華町の思い出(教授時代)関連続き
今日、奈良女子大学・住環境専攻を2000年卒、2002年修了の高岸亜衣子さんの結婚式が奈良であったので参加し、披露宴でスピーチした。05年11月19日に前田真子さんの時以来である。(ブログ05年11月19日参照)本人と相手の峯 繁治さん(鍼灸師)にも同意していただいたので本名で書いておく。奈良女卒業生も10人ほど来ていて久しぶりの交流になった。皆、私の「洒落」を期待している雰囲気だったが割と真面目に話した積りだが・・。少し長いが読んでいただくと幸いである。

結婚披露宴スピーチ
○ 高岸亜衣子さん(2006年5月21日 於:ヒルトップテラス奈良)
峯 繁治さん、亜衣子さん、ご結婚おめでとうございます。ご親族の皆様にもお祝い申しあげます。結婚式および披露宴にお招き頂き有難うございます。私は亜衣子さんが奈良女子大学の4回生および大学院修士課程の時の指導教官を勤めました。
今日は、亜衣子さんの奈良女子大学時代を思い出しながら、人生の先輩として今後のことについても一言述べたいと思います。四つのことを言います。最初の二つは亜衣子さんの学生時代と現在の仕事のこと、後の二つはお二人の現在と将来のことです。
まず亜衣子さんのこと。亜衣子さんは、奈良女子大学の卒業設計では、春日井の国道に面する建物や駐車場の設計でしたが、駐車場のロットに番号をつけて建物から見えるようにし、番号あわせのビンゴを楽しむという仕掛けを考えましたがユニークでしたね。大学院の修士論文では研究室で取り組んでいたテーマの一つ「戸建て住宅地」の問題に取り組み、見事書き上げましたね。その成果は本の一部に使わせてもらっています。(その本『これからの郊外戸建て住宅地』(前田真子さんと私の共著、せせらぎ出版)を持ってきましたので一部差し上げます。)学生時代は、アイデアもあり同時に着実に進んできたと思います。結婚後も、何事につけそのようであるだろうと想像し期待しています。
次に、現在の仕事、コンサルタントについてお話します。亜衣子さんが春日井発祥の玉野総合コンサルタントに勤めているからです。これは何かと言うと、根気の要る「コン」、次に創造的に越したことはないけれど、要領よくやる必要があるので猿真似でもよいの「サル」そしてお金が「タント」儲かるという意味です。まあ、これは洒落で言っているのですが、長い間には、ある意味で「軽いのりも必要」ということです。
では、お二人の結婚と今後のことについて。まず結婚式は、日柄と場所を選ぶと言いますが、今日5月21日は24節気の一つ小満(小さく満つる)で万物が成長してくる良い季節になった初っ端なのです。おめでたいと思います。次に場所ですが「ヒルトップテラス奈良」ですよね。お二人の馴れ初めが奈良なので、当然、奈良なのですが、それが「ヒルトップテラス」とは「丘の上の高台」という意味ですね。お二人の元々の名前(姓)が峯さんと高岸さん、全く名前どおりの場所をスタートラインに設定したお二人の「謎かけ」を解いた積もりですが、如何でしょうか。良いスタートを共に喜びたいと思います。
最後に、今後のことですが、是非幸せになってほしい、と思うのですが、英語で幸福は、happiness と言いますね。これはhappen  happening と通じていると思います。どういうことかと言うと、何度も起こること、例えば美味しい食べ物を何度も食べることは、快楽ではありますが、幸福とは言わないと思います。幸福とは、happen 一度だけ起こることの中にあると思います。この結婚式も、将来の例えば一人目の子供が生まれることも、銀婚式も あるいは金婚式も一度しか起こりません。そう言えば、これからのお二人の毎日毎日も一度しか起こりません。是非そういう毎日を幸福とかみしめて、そして毎年着実に進級し(鍼灸師)て、幸せになってほしいと願って、私のお祝いの言葉といたします。
(写真は「人前結婚式」の行われた「チャペル」)