西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

五感の機序(再説)

2006-05-26 | 色々な仮説や疑問
「学部長と語ろう」で「五感の機序」という話をした。要約すると、こうだ。五感は、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚だが、触覚のみ全身に分布し基礎ではないか。
恋愛過程を考えて見ると、視覚から入って、つまり「見て好ましい」と思わないと決して交際は始まらない。次に、しかし「目は口ほどにものを言う」ということもあるにはあるが、それは一定のコミュニケーションの後であって、相手に声をかけねば実際の交際は始まらない。つまり言葉と聴覚である。次に具体的な行動、お茶を飲みに行ったり食事をしたりするのは、味覚であり嗅覚である。そして仕上げが手を握ったりキスをしたり・・の触覚である。与謝野晶子も詠んでいる「柔肌の熱き血潮に触れもみでさびしからずや道を説く君」と。
では死んでいくプロセスはどうか。まず目から衰える、次々に他の感覚も衰えていくが、最後に残るのが触覚だ。死の床で、愛する人と手を握って「ありがとう」と感謝して天国に旅たつのが理想ではないか。
最後に、あのヘレン・ケラーを考えて見よう。彼女は、サリバン先生の献身的努力で、見えない、聞こえない、喋れないの三重苦を克服し、最初に「water」という言葉を発するまでになる感動的人生を歩む。サリバン先生は、ヘレンに残っていた触覚を活用し、抱きしめて「ほめたり」、尻を叩いて「しかったり」して教育していった。まことに感動的物語である。皆さん、君たちには触覚だけでなく他の感覚も十分備わっている。ヘレンより学習するのに有利な条件を持っているのだ。しっかり、勉強しないといけない所以である。皆、頷いていたので一寸は気持ちが通じたかな・・。

市場と広場

2006-05-26 | 地域居住学
「市場と広場」と場、場がついて語呂が良い。これらは、町づくりのポイントではないかと思う。特に西洋では、それらはギリシャ時代の昔からそうだったのではないか。Agoraである。それらは、まあ大袈裟に言って見れば、「個体保存」「種の保存」という動物の二大本能に根ざしている場であるとも言える。つまり、人間は「食い物を取らねば生き続けて」いけないし、「人間同士、特に異性が交流しないと種として生き延びて」いけない。それらを保障する場が市場であり広場であったし、今も根にそれらがあると言える。しっかり計画、形成しなければなるまい。