西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

西山卯三先生のお墓にお参り

2006-05-04 | 奈良・精華町の思い出(教授時代)関連続き
今日、岡崎の京都国立近代美術館に行くために二条通を歩いていたら「近くに来たのなら、なんで俺の墓に寄らんのだ」との西山卯三先生の「声」が聞こえてきた。温かい気持ちよい日だったし、西山先生の菩提寺である西昌寺(さいしょうじ)に寄って行くことにした。二条通り西寺町下る、である。境内に入ると、住職の奥さんが出てこられた。私は1994年4月の葬儀以来である。奥さんが言うには、今年は西山先生の13回忌、とのことだ。聞くと時々「横尾先生」(横尾義貫京大名誉教授、西山先生の葬儀委員長)が来られているとのこと、有難いが、どうも西山先生の直弟子は余り来られないと言う。私は身を小さくして西山先生の墓の前まで行った。「西山家の墓」という字は西山先生のものだ。流線型というか、流れるような感じだ。「先生、お久しぶりですね。皆、頑張っていますが、西山記念文庫の理事長だった安藤元夫君が最近そちらに行きました。もう議論が始まっていますか。」と心の中で言ってみた。

フンデルトヴァッサー展を京都国立近代美術館に見に行く

2006-05-04 | 住まい・建築と庭
京都国立博物館に行った後、岡崎公園の京都国立近代美術館にフンデルトヴァッサー展を見に行った。10月31日のブログで筑紫哲也さんがフンデルトヴァッサーと知り合いで筑紫さんのフンデルトヴァッサー主張の要約を書いている。再度書く。「「百水」さんの主張は、「全ての直線は犯罪である」「窓の権利」「緑の義務」「家は人間の第三の皮膚である」「家は人間を映し出す鏡である」とある。小文では最後に「緑滴る日本を小さなパラダイス」と見たフンデルトヴァッサーの言葉をあげる、「日本は、どのように私たちがこれから暮らすべきかを、過去にすでに示している」「近代の日本は、この見事にバランスのとれたパラダイスを失ってしまった」「自分が自分であることの本質を、いまの日本はますます捨てさろうとしている」「日本は、日本を失いつつある。まるで鳥が飛ぶことができなくなるのと同じように」フンデルトヴァッサーは、オーストリア人でドイツ語のHUNDERTWASSERであり英語にするとHUNDREDWATER即ち「百水」なのだ。日本にも執着していて「百水」という印鑑も作り、自分の絵にも押している。今日じっくり見て、確かにアントニオ・ガウディーの「後継者」、ウィーン世紀末のクリムトとかエゴン・シーレの影響も受けていると思った。窓枠を極彩色で彩っているが、マグサの要石を強調しているのが目に付いた。建築の背景に絵画があるが、つながっている。映像でフンデルトヴァッサーは「地平線(実は水平線)以外は人間の造ったものだ」と言っているのが心に残った。五つの「皮膚」も提案しているが、私の言う「つながり」に何処か似ている。
フンデルトヴァッサーは、21世紀直前(2000年)にエリザベスⅡ世号の船上で亡くなった。しかし、21世紀は、彼の主張を「遺言」として再び考えていく世紀になるのではないだろうか。

大絵巻展を京都国立博物館に見に行く

2006-05-04 | 生活・空間・芸術と俳句・川柳・短歌・詩
先週の日曜日か、NHKTVの「新日曜美術館」でやっていた源氏物語絵巻とか鳥獣戯画絵巻とかの有名絵巻50余りを一気に見せる展覧会が京都国立博物館であるというので、今日の休みに見に行った。京阪七条から歩いて行った。途中で前売り券1100円を買った。行くと大変な盛況で外で30分余り行列つくって待たされた。お蔭で建物の外観を充分観察することが出来て、その点で良かった。奈良国立博物館と同じく片山東熊さん(東京駅、奈良ホテル設計の東京帝大一期卒の辰野金吾と同期)の設計で「バロック風」である。今年の1月26日のブログに写真付きでこの建物について書いている。今日、玄関前で説明書きを読んだら確かに明治28年に建築にかかっているが出来上がりオープンしたのは明治30年(1997年)5月のようだ。「窓がない」と書いたが、全然ない訳ではなく隅にある。中央部にないのだ。石の柱と煉瓦の壁の組み合わせ、石の柱頭は色々な「オーダー」になっている。軒蛇腹の辺りが雨で汚れている、基壇も少し汚れているが砂地表面のような柱部が全然汚れていないのは変だ。そこだけ清掃したのか。正面上に左から右へ「京都國立博物館」と大きく書かれており、明治なら右から左に書くのでは、と思った。何時書かれたのだろうか。色々観察考察しつつ入り口へ、館内は満員で充分に絵巻物が見られなかった。仕方なく大枚はたいて「カタログ」を買った。係りの人に聞いたら、昨日の休日は5千人以上入ったというが、今日はそれ以上ではなかろうか。

花水木(はなみずき flowering dogwood)

2006-05-04 | 言語・字・言語遊戯
桜の季節は終わった。今度は、近所では花水木が綺麗に咲いている。白や淡い桃色の両種があるようだ。この木は、日本からアメリカ・ワシントン・ポトマック河畔に贈った桜に対してお礼に明治時代にアメリカから贈られて日比谷公園にあるものが有名だ。花のように見えるものは本当は花ではないようだ。しかし、4枚の「花びら」が沢山ついているさまは本当に綺麗だ。本当の花は、その上に小さく咲くようだ。まあ「花見ず木」ではなく「花見る木」とでも言えよう。それにしても英語では、何故 flowering dogwood(花犬木)と言うのだろうか。