人生の最後に見たい風景は、どういうものだろうか。
まあ、亡くなってしまった人に「本当は、最後にどういう風景見たかったの?」と聞けるなら、その答えによって、はっきりするだろう。
しかし、そういう訳にはいかない。そこで、亡くなる間際でまだ意識がはっきりしている人に、「どういう所で、どういう状況で最後を迎えたいか?」と聞いて、その答えをまとめれば、「最後に見たい風景」が明らかになるかもしれない。
でも、この作業も本人、家族、医療関係者等の同意を経てやるべきなので「大変」だ。
後は、このブログのように、こういうテーマを提示して個々に答えるのに任せるばかりである。
で、先ず自分から少し「今のところ」を述べてみたい。
前に「窓からの風景」に関連して、和室から見える最後の風景について「例えば、この和室で死に目を迎えた人は、恐らく縁側に近い畳の上の布団に寝ている視点から大空、木立、「さつき」など全てが見えなくてはならないだろう。何故なら、そこから「大空」に「帰って行く」のであるから・・・」と述べたことがある。まあ、これは今もそう思っている。
「窓を通じない」風景も含めて、全風景となるが、「窓を通じない」風景とは、まあ屋内、部屋内風景となる。
そこには、配偶者や子孫、家族などが見えたほうが良いし、出来れば「弟子」、友人などもいたらなお良い。最後に感謝の握手をしたいと思っている。
他には、常日頃身近にあった器具(例えば茶碗や箸)、本などが見えたらよいのでは、と思う。どうでしょうか。
まあ、亡くなってしまった人に「本当は、最後にどういう風景見たかったの?」と聞けるなら、その答えによって、はっきりするだろう。
しかし、そういう訳にはいかない。そこで、亡くなる間際でまだ意識がはっきりしている人に、「どういう所で、どういう状況で最後を迎えたいか?」と聞いて、その答えをまとめれば、「最後に見たい風景」が明らかになるかもしれない。
でも、この作業も本人、家族、医療関係者等の同意を経てやるべきなので「大変」だ。
後は、このブログのように、こういうテーマを提示して個々に答えるのに任せるばかりである。
で、先ず自分から少し「今のところ」を述べてみたい。
前に「窓からの風景」に関連して、和室から見える最後の風景について「例えば、この和室で死に目を迎えた人は、恐らく縁側に近い畳の上の布団に寝ている視点から大空、木立、「さつき」など全てが見えなくてはならないだろう。何故なら、そこから「大空」に「帰って行く」のであるから・・・」と述べたことがある。まあ、これは今もそう思っている。
「窓を通じない」風景も含めて、全風景となるが、「窓を通じない」風景とは、まあ屋内、部屋内風景となる。
そこには、配偶者や子孫、家族などが見えたほうが良いし、出来れば「弟子」、友人などもいたらなお良い。最後に感謝の握手をしたいと思っている。
他には、常日頃身近にあった器具(例えば茶碗や箸)、本などが見えたらよいのでは、と思う。どうでしょうか。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます