西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

兼六園の大和武尊像(銅像)について

2010-12-14 | 金沢の思い出
昨日、テレビを見ていたら、「イグ・ノーベル賞」のことをやっていた。1990年にアメリカで始まったらしい。まあ面白い(知的好奇心を刺激する)(笑える)発見や発明に対して与えられる。

「犬語」を理解する「バウリンガル」装置など記憶に残る。で、突如テレビ画面に私が良く知っている郷里・金沢の名勝・兼六園の一角に鎮座する大和武尊(やまとたける)の銅像が写った。

何かというと、世の中の銅像の上には鳩やカラスが糞をして汚れているのに、兼六園の大和武尊(やまとたける)の銅像の頭はそんなに汚れていないと言う。これを何故かと研究して、同じような合金を作り、鳩やカラスを寄せ付けないようにした広瀬幸雄・金沢大学教授(当時)に2003年のイグ・ノーベル賞(化学賞)だったとのことだ。

広瀬さんは、大和武尊(やまとたける)の銅像の修理の時を捉えて銅像の頭の部分を少し削り取って分析、猛毒のヒ素が普通の4倍も含まれていたと言う。これを元に合金を作ったと言う。確かに面白い。

ところで、私が更に疑問に思っているのは、江戸時代に造られた大名庭園の兼六園に、明治以降に何故、日本神話の大和武尊(やまとたける)の銅像が「場所にそぐわず」造られたのかということだ。

子ども時代から、ずっと毎年「花見」のころに見てきて、大人になってから「変だなー」と思いつつ、未だ自分として「解決」していない・・・。

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2 コメント

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Unknown (ぱぱ)
2010-12-21 04:30:46
西南戦争で没した兵士たちの霊をなぐさめるために建設されました。
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何故「大和武尊」像か? (サムじいさん)
2011-11-15 20:39:11
 私も、「日本武尊(やまとたける)」像が兼六園にあることに疑問を感じている一人です。この像は「明治祈念之標」となっており、ご存じのように、明治初頭の「西南の役」に明治新政府軍の一員として県内から参戦し、戦死した兵士を慰霊するために建てられたものです。
 では、なぜ「日本武尊」なのか?・・「日本武尊」は神代の時代、朝廷に抵抗した九州の部族「熊襲(くまそ)」を征服したと伝えれている神です。
 西郷隆盛を中心として明治新政府に反乱を起こした「西南の役」を制圧したという共通点から「日本武尊」にしたのでしょうかね。でも、なぜ兼六園に建てる必要があったのかは疑問のままです。
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