最近、多田富雄さん(免疫学者、東大名誉教授)が、『朝日新聞』の「!聞く」欄に「闘病記+社会批評」を連載しておられ愛読している。
で、⑧に「その国の真実の姿を見る」というのがあって、読んでみて、自分の体験にも照らして「そうだな」と思った。
引用「私は、よく旅行もしました。国際学会のついでに、遠回りしました。そこで専門分野とは無関係のことも見聞し、目を開かれました。1960年代にアメリカに留学しましたが、貧民街を歩くのが好きでした。アフリカでも、あまり人の行かない難民のキャンプやスラムも歩きました。ずいぶん危ない目にもあいました。スラムのバーで、ナイフで脅されたこともあります。こうした体験は、その国を理解するヒントになりました。・・・私が好んでスラム街を歩くのも、そこに上っ面の観光やビジネス旅行では見ることのできないその国の真実の姿があるからです。」
私は1960年代に豊田高専に就職して「都市計画」の科目も担当したが、ある時、何人かの学生がニューヨークに短期に派遣されて、まちを見て帰ってきた。その帰国談を聞いたのだが、それこそニューヨークの表通りを歩いた話だった。私は「ウェストサイド物語」のような所は行かなかったのか、聞いてみたが、どうも行かなかったようだ。私は、ルイス・マンフォードの『都市の文化』のようにまち全体を歩き回らないと本当の姿が分からないのでは・・・、とコメントしたことを思い出す。
その後、ロンドンに10ヶ月滞在した時、同じ頃におられた先輩の三宅 醇さんと危ないめをして、ヴァンダリズムのまちに出かけて写真を撮ったこと、その後、家族で夏休みに短期の滞在をした時、友人だったMichael Hebbert(マイケル・へバット当時LSE講師、現マンチェスター大学教授)さんの家(Lime House地区)に2週間住んで貴重な体験だった。(家族体験は、拙著『キラッと輝くいい住まい』所収)
そのLime House地区はロンドンの「イースト・エンド」で普通の観光地図には載っていない所である。普通のロンドンの観光地図の東端は、ロンドン塔であり、それより東もロンドン市なのだが、普通の観光客は近づかない所なのだった。
奈良女子大にいた時も、海外に出かける学生・院生に、上記のような体験を話しつつ、まちの表と裏を見るべし、と原則を言いつつ、やはり若い女性は危ないこともあるので、複数で行くとか、危険度を見極め「止めることも勇気」と言っていた。
で、⑧に「その国の真実の姿を見る」というのがあって、読んでみて、自分の体験にも照らして「そうだな」と思った。
引用「私は、よく旅行もしました。国際学会のついでに、遠回りしました。そこで専門分野とは無関係のことも見聞し、目を開かれました。1960年代にアメリカに留学しましたが、貧民街を歩くのが好きでした。アフリカでも、あまり人の行かない難民のキャンプやスラムも歩きました。ずいぶん危ない目にもあいました。スラムのバーで、ナイフで脅されたこともあります。こうした体験は、その国を理解するヒントになりました。・・・私が好んでスラム街を歩くのも、そこに上っ面の観光やビジネス旅行では見ることのできないその国の真実の姿があるからです。」
私は1960年代に豊田高専に就職して「都市計画」の科目も担当したが、ある時、何人かの学生がニューヨークに短期に派遣されて、まちを見て帰ってきた。その帰国談を聞いたのだが、それこそニューヨークの表通りを歩いた話だった。私は「ウェストサイド物語」のような所は行かなかったのか、聞いてみたが、どうも行かなかったようだ。私は、ルイス・マンフォードの『都市の文化』のようにまち全体を歩き回らないと本当の姿が分からないのでは・・・、とコメントしたことを思い出す。
その後、ロンドンに10ヶ月滞在した時、同じ頃におられた先輩の三宅 醇さんと危ないめをして、ヴァンダリズムのまちに出かけて写真を撮ったこと、その後、家族で夏休みに短期の滞在をした時、友人だったMichael Hebbert(マイケル・へバット当時LSE講師、現マンチェスター大学教授)さんの家(Lime House地区)に2週間住んで貴重な体験だった。(家族体験は、拙著『キラッと輝くいい住まい』所収)
そのLime House地区はロンドンの「イースト・エンド」で普通の観光地図には載っていない所である。普通のロンドンの観光地図の東端は、ロンドン塔であり、それより東もロンドン市なのだが、普通の観光客は近づかない所なのだった。
奈良女子大にいた時も、海外に出かける学生・院生に、上記のような体験を話しつつ、まちの表と裏を見るべし、と原則を言いつつ、やはり若い女性は危ないこともあるので、複数で行くとか、危険度を見極め「止めることも勇気」と言っていた。