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生き生き箕面通信

大阪の箕面から政治、経済、環境など「慎ましやかな地球の暮らし」をテーマに、なんとかしましょうと、発信しています。

生き生き箕面通信475 ・生方解任に見る党内民主主義のあり方

2010-03-21 20:09:38 | 日記
お早うございます。
生き生き箕面通信475(100321)をお届けします。

・生方解任に見る党内民主主義のあり方
 「民主党はどなたが一人が権力もカネも握っている」との主旨をサンケイ新聞に発表した
生方幸夫・副幹事長が、副幹事長職を解任され、「物言えば唇寒し」の民主党と批判が高まっています。

 とくに若手の議員の間には、「小沢さんが怖くて、自由にモノが言えない」と不満のマグマがうっ積していると伝えられています。一般の見方でも、「小沢イコール独裁者」のイメージがほぼ定着したようです。それが、夏の参院選はこのままでは戦えない、という党全体の空気になりつつあります。

 今朝の朝日は、社説で生方問題を取り上げ「幹事長室に風は通らない」との見出しで、のっけから「愚挙としか言いようがない」と激しい感情をぶつけています。なかでも解任を主導した高嶋良充・筆頭副幹事長には、上に立つものの意向を忖度(そんたく)して度を越す
典型的な「側近政治」になっていると、いわば罵声を浴びせています。

 社説は続けて、「自由闊達を旨とした民主党らしさはすっかり色あせた」といい、「かつて自民党全盛時代の幹事長室は、『歩行者天国』といわれるほど多くの来客が自由に出入りしていた」と懐かしんでもいます。

 この社説はうなずける点が多いとしても残念なのは、「解任の理由は、発言の中身というよりも、副幹事長職にありながら党外で批判した点にあるらしい。そこにいささかの傷は認めるにしても、処分の重さはいかにも均衡を欠く」としている点です。党内民主主義のあり方をあまりにも軽く見すぎています。

 政党とは、実現すべき政治の方向について志を同じくするものが組織を作るもので、その
中での意見の違いは党内民主主義を活発にするなかで克服すべきという大原則があるはずです。今回は、生方氏がいきなり外部に自説を発表するのではなく、まず党内で意見を出し、それが圧殺されたりした場合には、そこで初めて外部などにも訴えるという手順を踏むべきなのは当然です。

 ただ、その手順を誤った場合の処分については、本人に意見開陳の場を与えるなど、成熟した民主主義の対応があってしかるべきです。いきなり「解任」では、権力者におもねる側近政治のそしりをまぬかれません。国会議員のレベルで、行動の原理があまりにも拙劣です。

 もうひとつぼくがひっかかっているのは、こうしたドタバタも元はといえば、検察が「小沢情報リーク」による世論誘導という”毒”をまいた結果で、それがいまも効き目が衰えて
いないという点です。

 民主党のお粗末な政権運営とあいまって、検察がまいた”毒”が日本の政治を蝕み、激動の国際政治のなかで日本自体の”劣化”がひときわ目立つようになってきました。これから脱するには、有権者一人ひとりが、自分の目で事態を確かめ、自分の判断力を磨くことだと思います。ゆめゆめ、マスメディアの受け売りには陥りたくないものです。








生き生き箕面通信474 ・”パンドラの箱”を開け、非核三原則と”核の傘”はどうしますか

2010-03-21 20:03:48 | 日記
お早うございます。日本は原発を14基新増設し、原発依存度世界一の国をめざすようです。
生き生き箕面通信474(100320)をお届けします。

・”パンドラの箱”を開け、非核三原則と”核の傘”はどうしますか
 岡田外相の中身の無さが次々に明らかになってきました。「普天間問題は沖縄県内で決着
させよう」とする”ダメ外相”は、密約文書の公開でも、「これ以上の密約はない」などと大見得を切りながら、昨日の衆院外務委員会では、元条約局長などを務めた東郷和彦氏らの証言からしぶしぶ「さらに調査する」と言明せざるを得なくなりました。

 非核三原則に対しても、「将来の有事に際しては、時の政権が判断する」と一見もっともらしい答弁を行い、結局「非核三原則堅持」とは言明しませんでした。これは、将来の「核持ちこみ」へ道を開く仕掛けとなります。「有事」という時がくれば、威力を発揮する時限爆弾を埋め込んだことを意味します。

 では、私たちはどう判断しましょうか。どんな場合でも「非核三原則堅持」なのか、それとも「アメリカの”核の傘”に守ってもらわなければならないから、非核2.5原則もやむを得ない」のでしょうか。

 ぼくは、世界に向かって、「非核三原則を堅持します。アメリカの”核の傘”からも離脱します。『核のない世界』を創出する努力に全力をあげましょう。憲法9条は字義通り徹底します」と宣言し、国連の舞台を中心にあらゆる国際会議で日本の主張を実現する「外交努力」を粘り強く推進すべきだと強調したいと思います。

 核兵器は実際に使用可能でしょうか。あるいは手軽に使える戦術核兵器なら、限定された
地域で、例えばイラクやアフガンでアメリカが使うかもしれません。また北朝鮮は本当にわが国に核を搭載したミサイルを撃ち込む場合があるかもしれません。ところが、中国は北朝鮮の核を脅威と感じているでしょうか。何が違うのでしょうか。

 「非核世界の創出」のためには、みずから「丸腰・日本」でやってこそ、外交も成立する可能性があります。そうではなくて、アメリカの核の傘をさしながら、「あなた、核のない世界を創りましょうよ」と呼びかけるのでしょうか。

 日本が「唯一の被爆国」を訴える場合、それは核で守ることから最も遠い立ち位置をとってこそ説得力があるというものです。アメリカの核の傘がなければ不安?

 それこそ、アメリカからのマインド・コントロールにすっかりやられてしまった結果だといえます。日本はいま、世界をリードする真の外交力を発揮できる方向へ舵を切るチャンスです。それが「パンドラの箱」を開けた意義ではないでしょうか。