生き生き箕面通信

大阪の箕面から政治、経済、環境など「慎ましやかな地球の暮らし」をテーマに、なんとかしましょうと、発信しています。

生き生き箕面通信479 ・異常な中国の報道規制

2010-03-25 06:52:24 | 日記
お早うございます。京都の高台寺ではサクラが五分咲きだそうです。
生き生き箕面通信479(100325)をお届けします。

・異常な中国の報道規制
 「中国、18分野で報道規制」―今朝(3月25日)の朝日新聞は国際面で、中国の異常な報道規制を報じました。グーグルの中国本土からの撤退を前に、中国メディアを管理する共産党中央宣伝部が報道各社に通達を出していたというのです。

 18分野の主なものは、人民元切り上げ、官僚の腐敗、食品の安全問題、チベット騒乱、新疆ウイグル騒乱、貧富の格差、不動産価格の上昇と住宅難など。大学生の就職難や重慶の警察と暴力団の癒着などまで含まれています。

 中国の大手新聞社関係者が「読者の関心が高い内容がほとんど禁止され、何を報道すればよいかわからない」とこぼすほどです。まったくこれでは新聞になりません。

 日中政府間協議で、中国側からこんな発言もありました。「日本のマスコミは中国のマイナスばかり書いている。日本政府はもっとマスコミを指導すべきだ」と。

 日本では、こんな動きがありました。内閣記者会がしぶしぶ、門戸を開くことにしたのです。首相官邸の記者会見は内閣記者会が仕切っており、これまでは加盟社の記者以外は締め出して取材源をいわば独占していました。極めて閉鎖的に運営され、外国メディアの記者、インターネット記者、週刊誌などのフリーランスの記者などから強い要請があっても、頑として受け付けず特権をむさぼっていたのです。それが、明日26日からの会見に出席が認められ、発言も出来るようになりました。

 一方では、日本でネット規制の動きがあります。

 自由に意見を述べ、さまざまな考えが行き交うなかで、健全な合意が形成され、人々の落ち着いた暮らしが確保されるのだと思います。その観点からは、中国はいかにも強圧的です。共産党一党独裁による”力で押さえつける社会”をいつまで運営できるのでしょうか。

 中国に比べると日本は言論の自由が一応確保されていますが、言論のレベルはどうでしょうか。日本人はもっと自分の国の形に関心を持ち、自分たちの社会のありようを井戸端会議風に話し合える習慣があってもいいのでは、と感じています。「言論の自由」のありがたさが、粗末に扱われすぎだと残念に思われます。憲法では、憲法が保障する自由は国民が不断に努力して実のあるものにしなければならないと義務づけているのですが。中国の言論のあり方を低く見ているばかりでは、いずれしっぺ返しがありそうです。