私はこの仕事以前に思った。
生老病死を同じカテゴリーに入れるのは間違いだろう。
生死は、神(例えです)の領域。
キッカケや早めることはできても、基本的には人の領域ではない。
老(成長も含む)と病は人の領域だろう。
シッタルダは、アホだ。
次に思った。
老(盛衰)は肉体の一方向の変化だが、病は本人の生き方の変化だろう。
老は避けることはできないが、早めたり遅らせたりはできる。
病は、避けることもできるだろう。
だから、老と病も一緒には論じられない。
シッタルダは、アホだ。
シッタルダは人の苦しみとして生老病死に疑問をもった。
だが、生まれてきた事は苦しみではないだろう。
生きている間に、それぞれが感じる事の一つだろう。
生が苦しみなんていうのは、とても根暗な人だ。
シッタルダは、きっとヒマ過ぎて根暗になったに違いない。
やはり、アホだ。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。
治療・若返り・悩み相談受付中。日本中出張します。
ブログ読者は、facebookの友達承認をしますよ。コメント付きで申請して
17年間封印していた本物の「氣入れパワーストーン」を販売開始)