アルツハイマーであることはずいぶん前から報じられていたので、ある程度の覚悟はできていた。「刑事コロンボを全部観る」シリーズはまだ途中。こうなったら意地でも最終話までやるぞ。
彼のことで忘れられない思い出がある。高校時代のわたしは授業中に
“これから期待できる新作”
をノートにいつもリストアップしてたの。思えばそのころからまじめになにかに取り組もうという気がなかったわけだ。で、現代国語の時間に
brink's
と書いていたら
「ホリ、集中しろ。ブリンクスなんて書いてないで」
と後ろから来た教師に怒られてしまいました。ついでに言っておくと、その授業が終わったときに、クラスメイトから
「ブリンクス、ってあれだろ?なんかエッチな意味があるんだろ?」
違うわいっ!
その国語教師がのちにクミアイの交渉相手として県教委に行くとは思いもよらず(こっちが労働組合なんてものに所属するとも想像もしてなかったけど)、そして母校の校長になるなんてなー。
刑事コロンボという圧倒的な当たり役を得たことは、なんか論議はあるようだけどわたしは間違いなく彼の幸福だったと思う。
その「ブリンクス」(正確にはBrink's Job)「グレート・レース」「カリフォルニア・ドールズ」などで名優としての地位をちゃーんとゲットしていたことが前提なのではない。
コロンボであることで、たとえば「ベルリン・天使の詩」のように“含羞を知っている、刑事役で有名な俳優”なんて存在を演ずることができた人は他にいない。
死の間際に、彼は自身がコロンボであったことを忘れていたそうだ。
そう得々と報じる悪意にこう言ってやる。
それでも彼はコロンボであり、コロンボであることのすべてを(こうやって報じられることで)受け入れて死んでいったではないかと。
渥美清が亡くなったときもそう思った。
妹を思いやりながら、しかし無器用にしか生きられないフーテンと、暑いロサンゼルスなのに、レインコートをいつも着ながら殺人にこだわり続けた刑事がいない世界をこれからわたしたちは生きていくのだ。さみしい。うーん、マジでさみしい。