陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

いつだって明るい方を見よう

2008-10-08 22:34:31 | weblog
80年代半ば、核巡航ミサイル「トマホーク」を積んだアメリカ海軍の艦船が横須賀に来るということがあった。

わたしの周囲では、にわかに反核運動が盛り上がり、学習会が開かれたり、寄港に反対する署名が集められたりした。同じクラスの子のなかにも、そういう学習会や集会に参加するうち、ハンストの支援行動や、デモやに参加する子も出てきた。よく覚えてないのだが、最初の頃はわたしもおもしろがって、何度かそんな話を聞きに行ったこともあるような気がする(わたしも名前を知っている作家の講演会もあって、要はその作家が見たかったのだろう)。

そういうところで話を聞いていると、なんだかトマホークの来航を許したら、その次の年にも戦争が始まりそうで、最初は怖くなったりもしたのだが、次第になんだかおかしいぞ、という気がし始めた(もしかしたら親か誰かにそんなことを言われたのかもしれない)。

日本の軍事費がはねあがっているグラフなども見せられ、自衛隊の軍備は世界第何位、などという話も聞いたような気がする。「もう戦後じゃなくて、戦前なんだ」と言われたのも覚えている。聞けば聞くほど「そこで話されていること」と、「一歩外へ出てみた世界」とのギャップが広がるような気がした。

どちらがいったいほんとうなのだろう。あの人たちは、世の中の人間は気づいていない、とか、真実は政府によってインペイされている、と言っているけれど、ひとにぎりの人しか知らない「真実」というのは、果たして「真実」と呼べるのだろうか、みたいなことを、考えていたのではなかったか(そんな言葉遣いはできなかったけれど)。

わたしの周囲の子たちはどんどん盛り上がり、署名板を手に、戦争を許すのか、トマホークの来航に反対するか、みたいな詰め寄り方をするようになった。周囲の盛り上がりとは逆に、わたしはどんどん冷めていった。わたしが署名をしようがすまいが来るものは来るでしょ、と言ったら、「敗北主義者!」とまで言われてしまい、トマホークの来航より、すっかり変わってしまったその子たちの方になんともいえない違和感を覚えたのだった。

その子たちがどれだけ一生懸命に署名を集めたりビラをまいたりしても、やはりトマホークは横須賀に来て、その内のひとりが「なんで来るの」と泣いたのを見たことがある。わたしは、たかだか自分たちが署名したりデモしたりするぐらいで情勢が変わると思う方がどうかしている、と思う反面、そう思う自分がいったい何をしたのか、何を考えたのか、ふりかえらざるをえなかった。何もしない人間が、何ごとか懸命にやった人間(やり方は賢明ではないにせよ)をバカにするようなことをしていいんだろうか。少なくとも、わたしがその子たちを軽んじることはしてはいけないだろう。そんなことも考えたような気がする。なんともいえない複雑な思いといっしょに、その出来事はわたしに記憶されたのだった。

そのあと、予想もしなかったことにソ連が崩壊して、社会主義を標榜する国の多くが雪崩を打ってその看板をおろしてしまった。当時、その子たちがしきりに言っていた「戦争」は、国対国のものではなくなって、局地的な民族紛争に性格を変えていった。もちろん宗教や民族をめぐる紛争はこれからも続いていくだろう。だが、それがどういう方向に進んでいくにせよ、もはや昔のような国家同士の戦闘にはなっていかないだろう。敵と措定できるような国が存在しない時代に、イデオロギー抜きに敵を無理矢理措定しようにも、どうにも無理があるのではあるまいか。

わたしたちは未来に対して漠然とした不安を抱いている。
やがてくるかもしれない「第三次世界大戦」にせよ、連日新聞をにぎわしている金融不安にせよ、あるいはまた地球温暖化にせよ、この漠然とした不安に形を与えたものなのだろう。だから具体的にはそのことのどこがどう問題なのかよくわからなくても、わたしたちの不安を吸収して、いよいよそれは大きくわたしたちにのしかかっていく。

ちょっと前にネグリの『帝国』を読んだのだが、それには《帝国》は、市場を外部へと求め、その外部を内部化するというプロセスを繰り返していった、そうしてとうとう市場はグローバルなもの、「外部は存在しない」という状況にまで至った、と書いてあった。わたしは経済的な知識はほとんどないので、それがどこまで正しいのか、当を得た分析なのかどうか評価できないのだが、わたしの目にはまったくネグリは正しいことを言っているように思えた(そこはそれ、説得されやすい素直な性格ゆえ…)。

なんというか、「ものを作り、それを売り、資本を蓄積する」ことで創出されるような豊かさというのは、きっと二十世紀までで終わってしまったのだと思う。だから「景気を回復させる」のではなく、別の考え方をするしかないのだろうと思う。その別の考え方がなんなのか、わかればわたしはこんなところでこんなことをしていないのだが(笑)、きっと「景気」は、従来の意味ではよくならない。たぶん、良くなる-良くならないという考え方の外に出ることが、大切なのだと思う。

金融不安だろうがなんだろうが、人が生きるということは、ものやサービスを消費するということだ。その「もの」は生産されなければならないし、サービスは提供されなければならない。そういう意味で、経済活動はこれからも続いていくのだ。変なことを言っているような気がしてきたので、わかりもしない話をするのはやめるけれど、とにかく日常の暮らしというのは、続けていかなければならないし、続いていく。そうした等身大の経済は続いていく。

続いていく日常は、人の心に一種の平衡をもたらす。もちろん不安の根元は、この日常が奪われたらどうしよう、と思うことにあるのだが、「奪われるかもしれない」と思うから不安がふくれあがるのであって、不安の正体というのは、実のところ実体のないものだ。実体がないからこそ、根を断つことが不可能なのである。

大学生になって、家を出てしばらく、夜になって点灯する家々の灯りが嫌いだった。あの下に「平凡でどうでもいい日常」があると思ってぞっとしたものだ。当時のわたしは、何かもっと激しいものとか、真実とか、確かなものとか、芸術的なものとか、とにかく日常の向こうにある、もっと身を焦がすようなものを求めていたのだ。

いま振り返ってみると、なんだかとってもこっぱずかしいのだが。

でも、自分が何とか自分の生活を成り立たせようと苦労するなか(人に迷惑をかけたり、不義理をしたり、怒られたり、顔向けできないようなことをしたりしながら)、「どうでもいい日常」というのが、実はすごくいい(なんてほんとうはそんなことに力を入れてはいけないのだけれど)ものだということがわかった。

たぶん、わたしも歳を取った、ということなのだろうと思う。
それでも、わたしはこれだけのことをわかるまで、それだけの時間が必要だった。

気持ちはさまざまに揺れ動く。逆に、揺れ動くから気持ちなのであって、揺れ動かなくなってしまったときの方が問題だ。
けれども揺れ動く気持ちを底でささえるのは、日々の生活なのだろうと思う。

日常は、ドラマとは似ていない。何が起こっても朝は来るし、時間がたてばお腹がすく。お腹がすけばご飯だってつくらなければならないし、食べたら食器は汚れる。洗い、片づけ、掃除する仕事はついてまわる。
そういう「毎日かならずやらなければならないことども」というのは、ふだんわたしたちの意識する幸わせとか不幸せとかいうことと、ちがう位相にあるのかもしれない。それでも日常を回しているのはそんなことだ。

幸せも、不幸せも、本人がそう思いこむことによって成り立っているのだとしたら、明るい方を見ようではないか。