陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

フォークナー 「納屋は燃える」その6.

2008-10-16 22:44:34 | 翻訳
その6.

 二時間後、少年は家の裏手で薪を割り、家の中では母親と叔母と姉のふたり(いや、母さんと叔母さんだけで、姉さんたちはいない、と少年は思い直した。それだけ距離があっても、壁のせいですっかりくぐもってはいたが、姉たちの平板で大きな声からは、救いがたいほどの怠惰で無気力なようすが手に取るようにわかる)は、食事のためにかまどの用意をしていた。そのとき、蹄の音が聞こえてきて、麻の服を着た男が立派な栗毛の牝馬に乗ってやってくるのが見えた。それが誰なのか、あとから巻いた絨毯を前に置いた若い黒人が、太った馬車馬に乗ってついてくるのを見なくても、少年にはわかった。怒りに顔を紅潮させて、全速力のまま、家の角をまわってくる。そこには父と兄が傾いた椅子に腰かけていた。だが、少年が斧をふりおろすより早く、つぎの瞬間にはまた蹄の音が聞こえ、栗毛の牝馬がすでに速足になって庭から離れていくのが見えた。父親が大声で片方の姉の名を呼ぶと、台所のドアが開いて後ろ向きになった姉が出てきた。丸めた絨毯の一方を持ち上げて、ずるずると引きずってくる。もうひとりの姉がそのうしろからついてきた。

「あんた、持ってくれないんだったら、洗濯釜の用意をしてよ」最初に出てきた方が言った。

「サーティ!」あとの姉が少年に向かって怒鳴った。「あんたが洗濯釜の用意をしてよ!」

 父親が戸口に現れたが、古ぼけた戸を背に立つその姿は、さきほどの完全無欠な扉を背に立ったときと少しも変わらず、どちらからも超然としているように見える。母親の心配そうな顔が肩越しにのぞいた。

「やるんだ」父親が言った。「持ち上げろ」

ふたりの姉はいかにもやる気のなさそうにかがみこんだが、そのひょうしに、淡い色の服地が驚くほど広がって、不格好なリボンがひらひらした。

「もしあたしがわざわざフランスくんだりまで出かけて絨毯を買いでもしたら、人が踏んで歩くような場所には敷かないね」と最初に出てきた姉が言った。ふたりは絨毯を持ち上げた。

「アブナー」母親が言った。「あたしがやるよ」

「おまえは引っ込んで飯の支度をしてりゃいい」父親が言った。「こっちはおれが見てるから」

 午後いっぱい、少年は薪積み場からそのようすを眺めていた。洗濯釜のわきの地べたに平らに絨毯を広げて、ふたりの姉がその上にかがみこんで、重そうな体を大儀そうに動かしている。父親はふたりを見下ろす位置に立ち、声を荒げることもなく、怖い顔をして容赦なくふたりをこきつかっていた。彼らが使っている自家製の洗濯洗剤のきつい臭いを少年は嗅いだ。一度、母親がドアまでやってきて、一同を心配そうな顔つき、というよりは絶望そのもののような表情で、眺めているのも見た。父親が向きを変えたのを見て、少年は斧をふりおろしたが、眼の隅で父親が平べったい石を拾い上げ、それをためつすがめつしているのをとらえた。それから洗濯釜に戻っていこうとする父親に、今度は母親が大きな声で言った。「アブナー、アブナー。後生だからそんなことしないで。お願い、アブナー」

 やがて薪割りも終わった。日暮れ時だった。とうに夜鷹が鳴き始める時刻である。コーヒーの匂いが、昼食の残りの冷たい食事をすることになっている部屋からただよってきた。少年が家のなかに入ってみると、女たちはまだコーヒーを飲んでいる。おそらく炉に火が入っているからなのだろう。暖炉の前にはひろげた絨毯が、ふたつの椅子の背にわたしてあった。父親の足跡は消えていた。だが、足跡のあった場所には、いまは長い、雨雲のようなただれができていた。まるで小人が芝刈り機であちこち刈り取りでもしたかのように。



(この項つづく)