陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

リユニオン

2008-10-31 23:20:03 | weblog
その昔、知り合いの中にどうにも厄介な子がいた。公式の話し合いの場であれ、日常的なおしゃべりであれ、その子の言うことにちょっとでも反対でもしようものならたちまち喧嘩腰になるのだ。こちらとしては、あなたがどうこうと言っているのではない、あなたの意見に対して、わたしはそうは思わないと言っているだけだ、とどれだけ説明しようと、反論はすべて自分に対する攻撃、批判的な意見には聞く耳を持とうとしないだけでなく、すぐに自分を被害者に仕立て上げ、同調者を募ったり、果ては泣きだしたりする始末。自分に対して異を唱える人は悪い人、いい人は自分に良くしてくれるに決まっている、なんでも自分の言うことを聞いてくれる子分を従え、ひとりずつなら決してつきあいにくいばかりでもないような子たちが集まって、かなり厄介なグループを形成していたのだった。

「彼女とその仲間たち」のおかげで、簡単に決まるようなことも決まらず、結局話し合いの機会ばかりが増えていく。いまよりも折れることを知らず、筋が通らないことに我慢ができず、おまけに口の利き方も知らなかった当時のわたしは、彼女らと何度となくもめたし、首謀者である彼女を泣かしたことも一度や二度ではなかったような気もする。最後のころは、顔を合わせるのも最小限度にし、彼女の方はわたしを見かけても挨拶すらしなくなっていた。

ひょんなことから十数年ぶりにその彼女と会った。結婚したということや、子供に恵まれたが、その子がダウン症をもっていたという話は聞いていたのだが、雰囲気があまりに変わっていたのに驚いた。出生前診断の話、決断と、出産までの不安、生まれてからも入院と退院を繰りかえし、手術も受けたこと。聞いていて、思わず襟を正したくなるような話だった。仮に同じ場に立ち会ったとして、同じことが自分にできるのか。頭が下がるような思いがする、という言い方があるが、言葉にしてしまうと何かちがうものになってしまいそうで、わたしはただ、大変だったねえ、だけどよくがんばったねえ、えらかったねえ、というどうだっていいようなことしか言えないのだった。ときに涙を流し、ひどい対応をされた経験を話すときは昔を思わせるような口調にもなったが、彼女の動作にも、赤ちゃんを見やるまなざしにも、言葉以上にさまざまな経験があったことがうかがえた。

彼女と別れてふと変なことを思った。もし二十代のわたしが手記を書いていたら、彼女のことはまちがいなく批判的な書き方をしただろう。年より幼い、社会的に未成熟な女の子、と書いたにちがいない。
だが、いまのわたしは、しんどい決断をし、そうしていくつもの困難をくぐり抜け、これからもそれを日常として引き受けていこうとしている勇気のある女性を彼女の内に見た。
同じひとりの人間なのに。
おそらくそれは彼女が変わったからという側面ももちろんあるのだろうけれど、それ以上に、当時のわたしが彼女の内にそういう質を見て取ることができなかった、ということでもある。
時が流れ、さまざまなことが起こり、相手が変わり、わたしが変わる。変わった相手を見て、わたしの内に変化が生じる。

やっぱり、時の流れは冒険なのだ。これ以上はないというほどの。

彼女の赤ちゃんはとてもかわいらしかった。変な言い方なのだが、かわいがられている赤ちゃんというのはとてもかわいいのだ。この子はほんとうにかわいがられているんだ、と思った。


(※ややこしい仕事も一段落ついたので、またブログ・サイトのアップともがんばっていきますので、今後ともよろしく)