陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

赤か黒か

2008-10-09 22:53:24 | weblog
子供向けの童話で『いやいやえん』という大変愉快な本がある。わたしが小学生の低学年の頃にはあったので、ずいぶん息の長い本だが、おそらくいまでも愛されているだろう。子供というのは同じ本を飽きずに繰りかえし読むものだが、『いやいやえん』をわたしが読んだのは、おそらく五百回ではきかないだろう。連作短篇の体裁を取っているのだが、すべての章のあらすじが言えるし、いまだにやまわきゆりこの挿絵はいくつも頭の中に思い描くことができる。

保育園の年中組の「しげる」という男の子が主人公なのだが、この子が先生の言うこともお母さんの言うこともちっとも聞かなくて、そのくせ自分を食べようとするおおかみのまんまと裏をかいたり(というか、本人にはそのつもりはちっともないのだが、結果としてそうなってしまう)、ひとりだけでおそろしい黒い山にどんどん入っていって、その山に住む鬼の子と友だちになってしまうような、おもしろい男の子なのだ。

小学生と言えば、保育園(幼稚園)時代なんて、つい昨日のようなもので、しげるたちの世界も身近に感じられてもよさそうなものなのだが、全然そんなことはなかった。まあその保育園にはこぐまもやってくるし、積み木を並べて船を造り、年長さんの男の子全員でクジラ取りにいくような保育園なので、ちっとも身近に感じなかったのかも当たり前かもしれない。

そのなかに、しげるがおねえさんのお下がりの赤いシャツを着せられそうになって、赤は女の色だからいやだよう、と駄々をこねる場面がある。これは確かによくわかった。いまでこそ男の子の着る服も全体にカラフルになって、デザインも女の子と変わらないくらい洗練されている。赤いシャツを来ていたら「女色(※おんないろ、と読む)」などと言われるようなことはないだろう。ピンクだってオレンジだっていまの小学生の男の子は平気で着ている。だが、わたしの頃まで、赤やピンクやオレンジは「女色」で、青や緑や紺や黒は「男色(これも当然おとこいろと読む)」という区分ははっきりしていた。黄色は「安全の色」で、この色に関してはユニセックスなのである。

わたしの弟も、赤ん坊の頃はお下がりのベビー服を嬉々として(ということはないだろうが)着せられていたが、物心つき始めると、「女の服なんか絶対着ない」と言い張るようになっていた。それどころかこまかいボーダーのなかに、赤い線がちょっと混ざっているだけで、「女の服」と言っていたぐらいだ。

子供というのは、実に保守的で、頑固で、融通が利かない生き物なのである。だからわたしは子供の発想が柔軟だ、などというのを信じない。柔軟はむしろさまざまなことを経験するなかで、獲得する資質であるように思っている。

おっと、話がそれた。

ところがわたしは赤やピンクやオレンジが好きではなかった。だが、ランドセルは女子だから「赤」だと思いこんでいた。赤以外のランドセルを自分がかつぐことになるとは想像できなかったのである。だから小学校に入学するときも、当然ランドセルは赤かった。ほんとうに真っ赤なランドセルだったのである。

わたしはださい(当時はまだそんな言葉はなかったが)色だ、と思っていた。それでも自分は女なのだから、仕方がない、と。
ところが登校して驚いた。「赤」というカテゴリーにも実にさまざまな色合いがあるのだ。なかでもくすんだチョコレート色のランドセルがかっこいい、と思った。紺色の制服に実に映えるのだ。ああ、あの色も赤なんだ、と思ったのだった。

ところで、なぜ女の子のランドセル、ランドセルばかりではない、うわばきの爪先のゴム部分の色も、筆箱も、トイレのサインにいたるまで、赤なのだろう。この赤は「女である」ことを示す記号になっているような気がする。

なぜ女が赤なのか、それに対して男は「黒」なのか。
ごぞんじの方、教えてください。