陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

しゃべるカラス

2008-10-25 23:05:09 | weblog
先日のこと。
小雨の降る朝の重い空気の中を自転車で走っていた。裏通りの細い道なのだが、抜け道として有名になってきたのか、それとも親切なカーナビが教えてくれるせいなのか、最近は交通量がずいぶん増えてきた。歩道もない、大型車が通れば自転車は溝すれすれまで寄らなければならない一方通行の曲がりくねった道なのだが、表通りを走るよりは5分ほど時間が短縮できることもあって、結局いつもその道を利用することになる。

途中何ヶ所か交差点がある。そのひとつ、同じように一方通行の道と交差している、信号も何もない、見通しの悪い交差点で車がとぎれるのを待っているときだった。頭の上で、「オハヨウ、オハヨウ」と小さな声が聞こえるのだ。オウムやキュウカンチョウのしゃべる、独特の声音である。わたしは顔を上げて声のする方を確かめた。
「オハヨウ、オハヨウ」と、また声がした。まちがいない。電線にカラスが三羽留まっていて、そのうちの一羽が「オハヨウ、オハヨウ」と言っているのだ。

小雨が降って視界は良好とはいえなかったが、どう見てもその黒い鳥はカラスに見えた。くちばしを確かめたが、確かに真っ黒だったのだ。なにぶん、時間に余裕があったわけではなかったために、車の波がとぎれたところで道を渡ってそこから去るしかなかったのだが、しゃべるカラスのことは気にかかった。

カラスって人間の言葉をまねるんだろうか?
確かローレンツの『ソロモンの指輪』のなかに、「ロア、ロア」と人間の声で呼ぶカラスの話が出てきたような気がする。早くそれを確かめたくてならなかった。家に帰ると、カバンを置くのももどかしく、真っ先に本棚に向かった。
 周知のように、インコ類とカラス類は人間のことばをまねて「しゃべる」。しかもそのさい、音声とある特定の体験との思考的結合もときには可能である。…カラスやインコはいろいろな音声をみなきちんと区別して発している。そこには明らかに一定の、ほぼ(ほぼ!)意味をなした思考の結合が存在するのである。…
「話す」鳥が人間のことば、それも一個の完全な文章を、一回ないし、せいぜい二、三回聞いただけで覚えてしまった例を、私はもう一つ知っている。それは一羽のズキンガラスの場合であった。こいつの名は「ヘンゼル」といった。…
あるときヘンゼルは、何週間もの間姿をあらわさなかった。ふたたび彼が帰ってきたとき、私は彼が足の指を一本折っていて、それが曲がったままなおってしまっているのに気がついた。この曲がった足指こそ、この人語を話すズキンガラス、ヘンゼルの物語のポイントである。つまりわれわれは、彼がどうしてこんなけがをしたのかを知った。だれから? ヘンゼルがしゃべってくれたのだ! まさかと思う人は思うがよい。長い間、姿を消していたヘンゼルは、ひょっこりわれわれのところへ帰ってきた。そのとき彼は新しい文章を覚えてきた。彼はいたずら坊主のスラングで、こんなふうに口走った――「キツネなわでとったんや」
コンラート・ローレンツ『ソロモンの指輪』日高敏隆訳 早川書房

自分が負傷した原因を教えてくれるカラスというのは、想像するだけで愉快になってくるが、ローレンツはヘンゼルが自分が話すことを理解しているわけではない、とはっきり断言している。「たしかにある発声をきわめて明確な思考結合によってある事件と結びつけることはできる。だが、その能力をなんらかの目的と結びつけることはけっして学習できないのだ」と。

そこから直線距離にして100メートルぐらいのところに小学校がある。カラスたちも毎朝「おはよう」と挨拶を交わす子供たちの言葉を聞いているうち、覚えたとしも不思議はない。

だが、どのように察知していたのかは不明だが、おそらく何らかの方法で「朝」を感たカラスが、それと「オハヨー」を結びつけていた可能性はあるが、わたしに挨拶してくれたわけではない、ということだろうか。

だが、そのとき周囲に車の運転手は別として、人間はいなかった。それを考えると、意味はおそらくわかってはいなかったのだろうが、わたしのために「オハヨー、オハヨー」と言ってくれたのかもしれなかった。

そういうときはどう反応するのがよいのだろう。ローレンツは同じところでしゃべるオウムのことも書いている。
彼はちゃんと意味にあわせて「おはよう」と「こんばんは」をいった。そしてお客が帰ろうとして立ちあがると、人がよさそうな低いしゃがれ声で「じゃあまたね」というのであった。ふしぎなことにこれをいうのは、客がほんとうに帰ろうとして腰をあげたときだけなのである。…彼もまた無意識的に与えられたごくかすかな合図によって、客が「ほんとに帰る気」になったことをみぬくのだ。それはいったいどんな合図なのだろう? われわれにはまるきりわからない。わざと帰るふりをしてそのことばをいわせてみようともしたけれど、一度も成功したことはない。だが人がそしらぬ顔で出ていって、あいさつもせずこっそり帰ってしまおうとすると、とたんにあざけりに近い声がその人の耳にとびこんでくる――「じゃあ、またね!」

確かに家のネコでも同じようなことがあった。以前、わたしのところにいたネコは、どういうわけかわたしがいないときは絶対にわたしの部屋に入らなかった。朝、学校へ行くときにせよ、帰ってから塾に行こうとするときにせよ、わたしが部屋から出ていくときは、かならず足にまとわりつくようにして、一緒に部屋から出ていくのだ。それがちょっとトイレに行ったり、下へお茶を取りに行ったりするような場合であると、絶対に動こうとしない。試しにわざとカバンを下げて部屋を出てみても、「じゃ、行って来るね」と声をかけてみても、決してネコはだませないのだった。

「オハヨー、オハヨー」と言われても、こちらがいいかげんな気持ちでいたら(?)カラスには見抜かれてしまうのかもしれない。誠意をこめて「お早う」と言い返すべきなんだろうか。高いところから聞こえてくる声に、いったいどう返事をしたものか、頭を悩ませているところだ。

しゃべるカラスの目撃談がありましたら、どうか教えてください。