陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

17歳だった

2008-10-03 23:17:24 | weblog
高校の時、同じ学年の女の子のお兄さんが、突然芸能人になってしまったことがあった。

中学のときからその子は何かあるとお兄さんの話をしていた。別の高校に行ったお兄さんを見たことはなかったが、彼女の定期入れのなかにはお兄さんの写真が入っていて、見せてもらったこともある。だが、写真というのは知っている人ならいざしらず、知らない人の顔というのは、意外とわかりにくいものなのである。カッコイイでしょう、と言われても、どうもピンと来なかった。

というのも妹の方は、なかなか体格の良い、というか、ごつい体つきの子だったのだ。バレーボールをやっていたのだが、たくましい二の腕から繰り出すスパイクは、男子ですら受けることができないと評判だった。その彼女の隣りに並んで笑っているお兄さんは、やっぱり彼女によく似ているような気がして、彼女に似ている男の子を「カッコイイ」とはなかなか呼びにくいように思えたのだった。

まじめな子で、掃除当番であるとか、係りの仕事とか、きちんとやってください、と毎日のH.R.でいつも訴えていて、何かあると掃除をさぼりたがるような男子たちにけむたがられていた。わたしも授業中に本を読んでいたでしょう、などと授業のあとで注意されて、舌打ちしたいような気分になったものだ。だが、トイレ掃除にせよ、草むしりにせよ、みんながいやがるような仕事を率先してやるのも彼女で、「しっかりした子」というのはああいう子のことを言うのだろう、と思っていたものだ。

そんな、言ってみれば派手なところのまるでない女の子が、ある日突然、学校中で一番の有名人になってしまったのである。それも「××の妹」として。別に学外から取材に来るようなことはなかったが、同じ学校のなかではたちまちその噂はひろまって、「お兄さんに渡して」とプレゼントや手紙を持った上級生や下級生が、休憩時間などにはその子の教室の前に何人も集まっていた。「一緒に写真を撮らせて」とカメラを手にした姿もあった。

あとで思い返してみれば、その少し前から彼女はぴたりとお兄さんの話をしなくなっていた。あれほど中学時代「お兄さんが、お兄さんが」と口にしていたのに。自分から決してその話をしようとしない彼女の態度を察して、わたしたちもその話題は避けた。騒いでいるのは上級生や下級生ばかりで、同じクラスだったわたしたちは、まるで台風の目のなかにいるように、誰が言い出したわけでもなく、そのことにはふれないようにしていたような気がする。クラスの余興でギター片手に歌を歌うような子もいたが、そういうときにも、当時やたら流れていたその子のお兄さんの歌を歌う子はいなかった。

当時、ときどき考えたものだ。もし、自分が彼女の立場だったら、浮き足立つこともなく、派手な世界に目を奪われることもなく、あそこまで自分のペースを保っていられるだろうか。中学のときは苦手で、どちらかといえば敬遠気味だった彼女だったが、わたしにはあんな「自分は自分、兄は兄」という落ち着いた態度は絶対にとれないだろうと思ったのだった。

かといって別に仲良くなったわけではないし、もしかしたら彼女の方も、わたしに対して、苦手意識のようなものを持っていたかもしれない、という気もちょっとする。

学校を卒業して彼女には会っていない。先生になったという話をどこかで聞いた。それでもそのときから彼女のことは何度も思い返した。そのとき以来、彼女の態度は、わたしのひとつのモデルとなったのである。

わたしのなかにはひどく浮つきやすい、調子に乗りやすい部分があって、反面、すぐに意気消沈もしてしまう。それをあまり表には出さないようにしてはいるが、うっかり忘れると、浮ついてしまって、自分を見失いそうになっていることに気がつく。ああ、17歳の彼女はもっとしっかりしていたぞ、と思うのだ。

ほんとうに彼女の気持ちがどうだったのかはわからない。お兄さんを失ったような寂しさはまちがいなくあっただろう。知らない上級生や下級生と、お兄さんの代わりに写真を並んで撮っているときは、どんな気持ちだったのか。たいして親しくさえなかったわたしが、一体何を知っていたのか、とも思う。

けれども問題は「どう思っているか」ではなく、「どのような態度を取るか」なのである。彼女の態度は節度のある立派なものだった。そうしてわたしたちもその態度を見て、自分の態度を決めていったのだ。

たぶん、いろんな人がいる、自分と合ったり合わなかったりする人がいる、というのは、それだけ学ぶ機会がある、ということなのだろう。