陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

フォークナー 「納屋は燃える」その6.

2008-10-16 22:44:34 | 翻訳
その6.

 二時間後、少年は家の裏手で薪を割り、家の中では母親と叔母と姉のふたり(いや、母さんと叔母さんだけで、姉さんたちはいない、と少年は思い直した。それだけ距離があっても、壁のせいですっかりくぐもってはいたが、姉たちの平板で大きな声からは、救いがたいほどの怠惰で無気力なようすが手に取るようにわかる)は、食事のためにかまどの用意をしていた。そのとき、蹄の音が聞こえてきて、麻の服を着た男が立派な栗毛の牝馬に乗ってやってくるのが見えた。それが誰なのか、あとから巻いた絨毯を前に置いた若い黒人が、太った馬車馬に乗ってついてくるのを見なくても、少年にはわかった。怒りに顔を紅潮させて、全速力のまま、家の角をまわってくる。そこには父と兄が傾いた椅子に腰かけていた。だが、少年が斧をふりおろすより早く、つぎの瞬間にはまた蹄の音が聞こえ、栗毛の牝馬がすでに速足になって庭から離れていくのが見えた。父親が大声で片方の姉の名を呼ぶと、台所のドアが開いて後ろ向きになった姉が出てきた。丸めた絨毯の一方を持ち上げて、ずるずると引きずってくる。もうひとりの姉がそのうしろからついてきた。

「あんた、持ってくれないんだったら、洗濯釜の用意をしてよ」最初に出てきた方が言った。

「サーティ!」あとの姉が少年に向かって怒鳴った。「あんたが洗濯釜の用意をしてよ!」

 父親が戸口に現れたが、古ぼけた戸を背に立つその姿は、さきほどの完全無欠な扉を背に立ったときと少しも変わらず、どちらからも超然としているように見える。母親の心配そうな顔が肩越しにのぞいた。

「やるんだ」父親が言った。「持ち上げろ」

ふたりの姉はいかにもやる気のなさそうにかがみこんだが、そのひょうしに、淡い色の服地が驚くほど広がって、不格好なリボンがひらひらした。

「もしあたしがわざわざフランスくんだりまで出かけて絨毯を買いでもしたら、人が踏んで歩くような場所には敷かないね」と最初に出てきた姉が言った。ふたりは絨毯を持ち上げた。

「アブナー」母親が言った。「あたしがやるよ」

「おまえは引っ込んで飯の支度をしてりゃいい」父親が言った。「こっちはおれが見てるから」

 午後いっぱい、少年は薪積み場からそのようすを眺めていた。洗濯釜のわきの地べたに平らに絨毯を広げて、ふたりの姉がその上にかがみこんで、重そうな体を大儀そうに動かしている。父親はふたりを見下ろす位置に立ち、声を荒げることもなく、怖い顔をして容赦なくふたりをこきつかっていた。彼らが使っている自家製の洗濯洗剤のきつい臭いを少年は嗅いだ。一度、母親がドアまでやってきて、一同を心配そうな顔つき、というよりは絶望そのもののような表情で、眺めているのも見た。父親が向きを変えたのを見て、少年は斧をふりおろしたが、眼の隅で父親が平べったい石を拾い上げ、それをためつすがめつしているのをとらえた。それから洗濯釜に戻っていこうとする父親に、今度は母親が大きな声で言った。「アブナー、アブナー。後生だからそんなことしないで。お願い、アブナー」

 やがて薪割りも終わった。日暮れ時だった。とうに夜鷹が鳴き始める時刻である。コーヒーの匂いが、昼食の残りの冷たい食事をすることになっている部屋からただよってきた。少年が家のなかに入ってみると、女たちはまだコーヒーを飲んでいる。おそらく炉に火が入っているからなのだろう。暖炉の前にはひろげた絨毯が、ふたつの椅子の背にわたしてあった。父親の足跡は消えていた。だが、足跡のあった場所には、いまは長い、雨雲のようなただれができていた。まるで小人が芝刈り機であちこち刈り取りでもしたかのように。



(この項つづく)

フォークナー 「納屋は燃える」その5.

2008-10-15 22:28:18 | 翻訳
その5.

 ふたりは玄関ポーチをつっきった。父親がぎくしゃくと歩きながら、時計が時を刻むように床板を踏んでいく音がする。体つきからは不釣り合いなほどの大きな音だったが、その体は白い扉を前にしても、少しも縮んだようには見えない。まるである種の邪悪さ、貪欲さのせいで、何を前にしても小さく見えることがないかのように。平たい、幅の広い黒い帽子、厚地の一張羅は、かつては黒だったが、いまではこすれたせいで、年老いたイエバエのような、緑色がかった光沢を帯びている。太すぎる袖が持ち上がり、袖口からかぎ爪のような曲がった手がのぞいた。即座に扉が開いたので、出てきた黒人は初めからずっと自分たちのことを見張っていたにちがいない、少年は思った。黒人は白髪交じりの髪の毛をきちんと刈り込み、麻の上着を着て自分の体で戸口をふさいでいる。

「足をきれいにしてください、白人のお方、なかへいらっしゃるんでしたら。旦那様はいまおいでなさりませんです」

「どけ、黒んぼ」父親は相も変わらず熱のない声でそう言うと、黒人の体ごと扉を荒々しく押しのけて、帽子も取らずに入っていった。少年は、父のぎくしゃくした足の跡が戸口の敷居についたのを見た。機械のように几帳面に動いていく足、実際の体重の二倍の重さを載せている(もしくは移動させている)ようにも見える足のあとから、淡い色の絨毯の上に足跡がついていく。黒人はふたりの背後から「ミス・ルーラ! ミス・ルーラ!」と叫んだ。

少年はそのとき、絨毯を敷いた階段のたおやかなカーブや、天井から下がるきらきらと輝くシャンデリア、金色の窓枠の鈍い輝きといったものから暖かな息吹が押し寄せてくるように感じていたのだが、小走りに近寄ってくる足音を聞き、女性が、いまだかつて見たこともないようなレディが、襟にレースをあしらったグレイのドレスで現れるのを見た。腰にエプロンを巻き、折り返した袖口の先、手についたケーキかビスケットの粉をタオルでぬぐいながら廊下をやってきて、父親の姿には目もくれず、淡い色の絨毯についた足跡に驚愕の表情を浮かべた。

「わしは」黒人は大声で言った。「わしはこの人に言いました……」

「お帰りになっていただけませんこと」女性は震える声で言った、「ド・スペイン少佐はおりません。お帰りください」

 少年の父親は、それまでにも一言も口をきいていなかった。そのときも無言だった。女性に目をやろうともしなかった。帽子をかぶったまま、ただ絨毯のまんなかにこわばった姿勢で立ち、もつれた灰色の眉をひくつかせながら、小石のような色の目で、ざっと値踏みするように家のなかを見回していた。それから緩慢なようすで向きを変えた。少年は、父親が良い方の脚を軸にくるりとまわるのを、こわばった足が弧を描き、長くかすれた跡を残すのを見守った。父親は跡など見もしなかった。絨毯に目を落とすことさえなかったのである。黒人は扉を押さえていた。ふたりの背後で扉が閉まり、ヒステリックな、何を言っているのかもよくわからない女のわめき声がそれにかぶさった。父親は階段の最上段で立ち止まると、へりにブーツをこすりつけて、汚れを落とした。門のところまで来たとき、ふたたび立ち止まった。こわばった足が根を下ろしたかのようにしばらくそこに立ったまま、屋敷を振り返ってながめた。「白くてきれいなもんじゃないか?」父親は言った。「ありゃ、汗だ。黒んぼの汗さ。だが、やつの気に入るほどには、白くねえ。だから白人の汗もそこに混ぜようとしてるんだな」


(この項つづく)

フォークナー 「納屋は燃える」その4.

2008-10-14 22:26:50 | 翻訳
その4.

 次の日、一家はそこにやってきた。午後のまだ早い時間に荷馬車が停まったのは、ペンキの塗っていない二間きりの家で、これまでの十年間に少年が過ごした十数軒の家とうりふたつだった。そこからまた、これまでの十数回と同じように、母親と叔母さんは荷馬車から降りると、荷物を降ろし始めた。ふたりの姉も父親も兄も動こうとはしない。

「ブタも収まらないかもしれないね」片方の姉が言った。

「いや、なかなかいいところだし、おまえたちみんな、ブタみたいに気に入るだろうさ」と父親は言った。「椅子から腰を上げて、母さんの荷下ろしを手伝え」

 ふたりの姉は牛のような大きな体に、安っぽいリボンをひらひらさせながら、荷馬車から降りた。ひとりはごちゃまぜの荷台から壊れたランタンを引っ張り出し、もうひとりはぼろぼろのほうきを引っ張り出す。父親は手綱を兄に渡すと、ぎこちない足さばきで車輪のてっぺんに上った。「荷物を全部降ろしたら、こいつらを厩に連れてって飼い葉を食わせろ」それからつぎの言葉を、初め少年はこれも兄に向かって言ったのかと思ったのだが、そうではなかった。「ついて来い」

「おれ?」少年は聞いた。

「そうだ」父親が答えた。「おまえだ」

「アブナー」母親が声をかけた。父親は立ち止まって振り返ると、もつれた灰色の不機嫌そうに寄せられた眉の下から、険しく冷たいまなざしを向けた。

「おれはな、明日っから八ヶ月間、おれの体も心も自分のものになるとでも思っていやがるようなやつと話をして来るんだ」

 ふたりはいま来た道を戻っていった。一週間前なら――いや、実際には昨晩より前ならば、少年も自分たちがどこへ向かっているのか聞いたかもしれなかったが、いまはそんな気にはなれなかった。前にも父親が彼を殴ったことはあったが、その理由をあとになって考えてみようとしたことはなかった。だが、平手打ちの音とそれに続く冷やかで怒りに満ちた声が、いまなお耳のうちで鳴り響き、谺しているような気がする。子供であることの不利をいやというほど味わわされたのだ。体の軽ささえ、生まれてからわずかの年数しか経っていない証拠のようで、それでいて世界から自由に飛び立つにはその体重でも邪魔で、かといって地に足をつけて、抵抗し、成り行きを変えようと試みるには重さが足りないように思えるのだった。

 じきに、カシやスギ、花の咲いた木々や灌木が見えてきた。家はそこにあるらしいのにまだ見えない。ふたりがスイカズラやナニワイバラの繁る生け垣に沿って歩いていくと、二本のレンガの柱のあいだに門が揺れている。そこでやっと大きくカーブを描いた私道の向こうに、初めて家が見えたのだった。その瞬間、少年は父親のことも、恐れも絶望も忘れてしまい、父親のことを思いだしたときでさえ(父親は立ち止まることもなかった)、恐れと絶望はよみがえってこなかった。

というのも、十二回の引っ越しも、これまでは貧しい田舎の小さな農場や畑や家の並ぶところばかりで、こんな屋敷は一度も見たことがなかったからだ。こいつは群庁舎ほどにも大きいじゃないか、とひそかに考えながら、心に平安と喜びが――幼すぎて、その気持ちをうまく言葉にあてはめることはできなかったが――わきあがるのを感じていた。ここの人たちなら父さんがいても安全だ。こんなに平和でお上品なところに住んでいるんだから、父さんだって手の出しようがないにちがいない。父さんなんてここの人たちにしてみたら、ぶんぶん飛び回るハチみたいなものだ。ちょっと刺して、しばらく痛い思いをさせるかもしれないけど、それぐらいがせいぜいなんだ――たとえ父さんが何かたくらんだとしても、ここの平和で上品な魔法のおかげで、納屋も厩も家畜小屋も、ちっぽけな火なんかじゃ燃やせないだろう……。

この平安も喜びも、こわばった黒い背中に目をやった瞬間に消えてしまった。足を引きずって歩く父の固く無慈悲な姿は、屋敷を前にしても少しもちっぽけには見えない。おそらくそれは、どこにいても格別大きく見えたわけでもない父の背が、荘重な円柱の立ち並ぶ屋敷を背にして、これまでにないほど超然として見えたからだろう。何かブリキの板を無造作に切りとったような感じ、うすっぺらで、たとえ横から日が差しても影ができそうもない感じだった。

その姿を眺めているうちに、父親がひたすらまっすぐに進んでいることに気がついた。父親のぎくしゃくした足は、さっき私道に立っていた馬が落としたばかりの糞のかたまりを、ほんの少し歩幅を変えれば避けられたであろうに、まともに踏みつけたのである。だがその出来事も、少年がうまく言葉にして考えることができないまま、この屋敷の魔法のなかを歩き続けるうちに、すみやかに消えていった。屋敷が自分のものだったらな、と思ったものの、気持ちのなかにはねたみも悲しみも、ましてや鉄のような黒い上着を着て前を行く父親の胸の内にある渇望や嫉妬のこもった怒りとも無縁だった。きっと父さんもそのうちそんな気持ちになるだろう。きっと父さんがそう抱かずにはおれないような思いさえ、この家は変えてしまうだろう。


(この項つづく)

フォークナー 「納屋は燃える」その3.

2008-10-13 22:51:41 | 翻訳
その3.

 父親はくるりと背を向けると、ごわごわした黒いコートを先に押し立てるようにして歩きだした。歩こうとすると痩せた体がぎくしゃくとかしぐのは、三十年前、馬を盗んで逃げていく彼のかかとに南軍の憲兵が撃ったマスケット銃の弾が当たったせいだった。少年はいつのまにか二つに増えた背中のあとについていく。兄が人混みのなかから現れたのだ。父親ほど背は高くなかったが、もっとがっしりしていて、ひっきりなしに噛みタバコをかんでいるのだ。厳しい表情の人びとのあいだを通って店の外へ出て、すりへったポーチを抜けて、たわんだ階段を下り、犬や大人になりかけの少年たちが集まっている暖かで埃っぽい五月の空の下に立った。少年が通り過ぎようとしたとき、押し殺した声が聞こえた。

「放火魔!」

 ふたたび視野を失った少年は振り向いた。赤みがかったもやのなかに、顔がひとつ、月のような、満月よりもさらに大きな顔が浮かんでいる。その顔のもちぬしは、少年より体半分大きかったが、うっすらと赤いもやの向こうの顔に飛びかかっていった。殴られた感覚も衝撃もないまま、頭が地面にたたきつけられ、這い上がってまた飛びかかる。今度も殴られた感触はなく、口のなかに血の味も感じないまま、また這い上がって見ると、相手の少年は一目散に逃げていくところだった。跳び上がって追いかけようとしたとき、父親の手がぐいと引き戻し、険しい、暖かみのまったくない声が頭の上から聞こえた。「行って荷馬車に乗るんだ」

 荷馬車は道の向こうのニセアカシアと桑の茂みに停めてあった。そろって図体の大きなふたりの姉が晴れ着に身を包み、更紗の服を着てつばの広い帽子をかぶった母親と、母親の妹と一緒に乗っている。女たちは、少年の記憶にあるだけでも十数度にも及ぶ引っ越しにも耐えてきた、さまざまながらくたにはさまって坐っていた。おんぼろのストーブ、壊れたベッドや椅子、真珠貝がはめこまれた時計、もはや動いていない、二時十四分あたりで止まったまま、日も時も告げることを忘れた時計は、元は母親の嫁入り道具だった。母は泣いていたが、少年の姿を見ると袖口で顔をこすり、荷馬車を降りようとした。

「戻れ」父親が言った。

「この子、けがをしてるじゃないか。水を取ってくるよ、洗ってやらなきゃ……」

「荷馬車に戻るんだ」父は言い、少年も荷馬車の後ろから乗り込んだ。父親は、兄がすでに坐っていた御者台に上ると、やせた二頭のラバそれぞれに、皮をはいだ柳の枝で作ったムチをふりおろした。乱暴だが、熱のこもらない手つきである。虐待を楽しんでいるのではなかった。ちょうど、もう何年か何十年かして、彼の子孫たちが車を動かす前に、エンジンの空ぶかしをするのと同じようなもので、ムチをくれるのも手綱を引くのも、ひとつづきの動作なのだった。

荷馬車は進んでいき、厳しい表情の人びとが黙ったまま見送っている店も、背後に遠ざかり、カーブを曲がると、もはや見えなくなってしまった。もうすっかり、と少年は考えた。たぶん、もう満足したんだ。だからもう……少年は独り言をいう声が自分にさえ聞こえないように口をつぐんだ。母親の手が肩に触れた。

「痛かないかい?」

「いや。痛かねえ。ほっといてくれよ」

「乾いちまう前に、血をお拭き」

「夜、洗うからいい。ほっといてくれったら」

 荷馬車は進んだ。少年には自分たちがどこに向かっているのかわからなかった。誰ひとりとしてそれを知らなかったし、聞く者もなかった。というのも、これまで一日か二日、ときには三日進んでいくと、かならずどこかにはついたし、かならずそこには家のようなものが待ちかまえていたからである。おそらくあらかじめ別の農場で収穫を手伝う契約をしてから、それから父親は……。また彼はそこでやめなければならなかった。あいつはいつもそうなんだ。確かに父親のオオカミのような独立心は見事なものだったし、勇気だってあった。少なくとも、まだ利害がはっきりとしていないあいだは、彼のことをよく知らない人びとはそういう印象を持ったのだ。彼の内側に潜む貪欲で残忍な面が、信頼できるものとして映ったというより、自分の行動を正しいと暴力的なまでに思いこんでいるところが、利益を同じくする人びとにとっては、頼もしく感じられたのだろう。

 その晩、一家はカシとブナの林にキャンプを張ることにしたが、そこにはもう春が来ていた。夜はまだ寒かったので、近くの柵から横木を引き抜き、適当な長さに切って火を焚いた――小さな火が上がった。こぢんまりと、しみったれたといってもいいような、だが抜け目ない、しっかりとした火だった。こうした火は父親の好みで、いつもそう、たとえ凍えるような天候のときでもそうなのだった。もし少年がもっと大きかったなら、どうしてもっと大きい火を焚かないのか、いぶかしく思い、そう尋ねてみたかもしれない。戦争での無駄や散財を見てきたばかりか、生まれつき、自分のものだけでなく、ありとあらゆるものを散々に浪費しつくすようなたちなのに、どうして手当たり次第、目につくものなら何でも燃やしてしまわないのだろう?

 さらにもう一歩踏み込んで、理由をこう考えたかもしれない。このしみったれた炎は、あの四年間、あらゆる人びとから――南軍からも北軍からも――逃れ、つないだ数頭の馬たち(父親はそれを馬質と呼んでいた)と森のなかで過ごした毎夜の生きた成果なのだろう、と。もっと大人になっていれば、ほんとうの理由も察知したかもしれなかった。火という要素は、父親の生命を動かしている主要な動力なのだ――ちょうど他の人びとにとって鉄や火薬がそれにあたるように、本来のあり方を保っていくための、たったひとつの武器、それがなければ息をする値打ちもなく、それがあるゆえに敬意と分別をもって扱われる。それが火なのだろう、と。

 だが、そのとき少年が考えていたのはそんなことではなかったし、彼が生まれてこのかた見てきたのはずっと同じ、しみったれた火だった。彼はその火のかたわらで黙って夕飯を食べ、鉄の皿を抱えたまま、眠りかけていた。そのとき父親が彼を呼んだので、すぐにこわばった背中のあとについていった。父親はぎくしゃくと無慈悲に足をひきずりながら、丘の斜面を登り、星明かりの道までやってきた。そこで振り向いたので、星を背にした父親の姿は見えたが、表情まではわからない。のっぺりと黒い姿は、ひらべったく血も通ってないようで、まるで鉄のフロックコートを切り抜いたように見えた。父親の声はブリキのようにしわがれていて、ブリキのように熱がこもっていなかった。

「てめえはやつらにしゃべろうと思っていただろう。あいつにしゃべっちまおうとしてたんだろう」

少年は返事をしなかった。父親は平手で彼の横っ面を張った。当たりはきつかったが、ほとんど熱が感じられない張り手だった。ちょうど店で二頭のラバを打ったときとまったく同じ、棒を使わずにアブを叩き殺すためにひっぱたくのとまったく同じだ。声にも、怒りの響きも熱もなかった。

「てめえはな、大人になろうとしてるんだ。だからそろそろ覚えなきゃな。てめえの血はてめえで守るんだ。さもなきゃ、てめえの血にしっかりとしがみついとくんだ、さもなきゃおまえがしがみつけるような血はどこにもなくなっちまうぞ。今朝あそこにいた誰かが、てめえの見方になってくれるとでも思ってるのか、ええ? 連中が望んでいるのは、おれを捕まえるチャンスだけだ。おれが連中をのしちまったからな。だろ?」

やがて二十年が過ぎ、彼はこう独り言を言うことになる。「もしおれが、あの人たちはただ真実と正義を求めていただけだったと言ったとしたら、おれをもう一度殴ったことだろう」だがいまの彼は何も言わなかった。泣きもしなかった。ただそこに立ったままでいた。

「何とか言ってみろよ」父親が言った。

「はい」少年は小さな声で言った。父親は向こうを向いた。

「もう寝ろ。明日はあそこへ行くんだから」



(この項つづく)

フォークナー 「納屋は燃える」その2.

2008-10-11 22:50:45 | 翻訳
その2.

「その黒んぼはどこにいる? あんたはそいつを捕まえたのかね?」

「見たことのねえ黒んぼだったって言ったでしょうが。そいつがどうしたかなんてわしは知らねえです」

「だがそれでは証拠とは言えんよ。証拠というには無理があるとあんたも思わんかね?」

「あの坊主をここへ呼んでくだせえ。やつだったら知ってるはずです」
しばらくのあいだ他の人びとと同様、少年も男が言っているのは自分の兄のことだと思っていたが、ハリスは続けた。「いや、そいつじゃねえです。ちっこいほうの。あの子だ」

あぐらをかいていた少年は、年の割に小柄な、父親そっくりの痩せてひきしまった体つきをしていた。つぎの当たった、小柄な体にさえ小さすぎる色のあせたジーンズをはき、まっすぐな茶色い髪には櫛を入れたあともなく、吹きすさぶ嵐にも似た灰色の荒々しい瞳をしている。彼は人びとが両脇に分かれて、テーブルまでの道を開け、厳しい顔の人垣を作っていることに気がついた。突き当たりには判事がいる。古ぼけた服にカラーもつけず、白髪混じりの頭で眼鏡をかけた判事は、少年に向かって手招きした。剥き出しの足は床を感じないのに、自分に向けられた厳しい表情は実際に重くのしかかる、そんななかを少年は歩いた。父親は黒い一張羅を着込んでしゃちほこばっているが、それも裁判のためではなく、引っ越しのためだ。息子の方をちらりとも見ない。父さんはおれに嘘をつかせるつもりなんだ。気も狂いそうな悲しみと落胆がまた押し寄せてきた。だからおれはそうしなきゃ。

「坊や、君の名前は何だね?」判事が言った。

「カーネル・サートリス・スノープス」少年はささやくように言った。(※カーネルは「大佐」の意で、サートリス大佐は地元の名士である)

「なんだって?」判事は聞き返した。「もっと大きな声で言ってくれんかね。カーネル・サートリスだって? この町でサートリス大佐の名前をもらった人間は、ほんとうのことを証言しないはずはないと思うのだが、どうかね?」

少年は何も答えなかった。敵だ! 敵なんだ! と考えていたのだ。しばらくのあいだ、まともに見ることさえできなかったので、判事の表情に優しげな色が浮かんでいることにも気づかなかったし、ハリスという男に「わしにこの子を尋問しろというのかね?」と尋ねる声音にも困惑の響きがあることもわからなかった。それに続くいやに長い数秒のあいだに少年の耳もまた聞こえるようになったが、人でいっぱいの小さな部屋は物音ひとつせず、押し黙った人びとのはりつめた息の音だけが聞こえていた。まるで彼が深い谷底の上でブドウのつるの先端にぶらさがって揺れていたら、一番高く振れた瞬間がいつまでも終わらなくなってしまい、重力も麻痺して重さもまったく感じなくなったような感じだった。

「できねえよ!」ハリスは乱暴な、感情を爆発させたような声を出した。「ええい、くそっ! あの子をここから出してやってくだせえ!」

その瞬間、時間と移り変わる世界はたちまち彼の足の下に戻り、チーズと缶詰の魚、あるいは恐れや絶望や昔からの血の悲しみのにおいをついて、人びとの声が彼の耳元に届いたのだった。

「本件はこれにて終了。あんたを有罪とする理由は認められんよ、スノープス、だがな、忠告をしておく。この土地を離れるんだ。戻ってきちゃならん」

 少年の父親はそのとき初めて口を開いた。冷たく険しいが平板で抑揚のない声だった。「そのつもりだ。ここにとどまるつもりはない、こんな……」それから何か活字にできないような忌まわしい言葉をだれに言うともなく吐いた。

「よかろう」判事はそう言った。「自分の馬車で暗くなる前にここから出ていくことだ。訴えを却下する」


(この項つづく)

フォークナー 「納屋は燃える」その1.

2008-10-10 23:12:33 | 翻訳
今日から十回くらいの予定で、ウィリアム・フォークナーの短篇『納屋は燃える』を訳していきます。原文にはniggerという単語が頻繁に出てきて、それに合わせて日本語をあてている点はご理解ください。
ちょーっとずつ訳すから、まとめて読みたい方は10日ほど先にのぞいてみてください。
原文はhttp://members.lycos.co.uk/shortstories/faulknerbarn.htmlで読むことができます。

* * *
Barn Burning(「納屋は燃える」)

by Wiliam Falkner


 治安判事裁判が開かれている店はチーズのにおいがした。混み合った店の奥で、少年は樽の上にあぐらをかいていたが、このにおいがチーズだということは、すぐにわかったが、においはそれだけではなかった。彼の坐っているところから、ずんぐりと平たい、重たそうなブリキの缶詰が見えて、そのラベルを胃袋で読んだ。彼には意味を結ばない文字ではなく、真っ赤な悪魔と銀色に弧を描く魚の絵で――いわば、鼻で嗅いだチーズと腸で感じる缶詰の魚のにおいが、それ以前から絶えず感じていたにおいの合間に、ときおり突風のように押し寄せてくるのだった。もう一方のにおいというのは、失望と悲しみのにおい、いくばくかの恐れと、もっと古い、血の気がざあっと引くような感覚も入り交じったにおいだった。

少年はテーブルに目をやることができないでいた。そこには判事が坐っていて、その前に少年の父親と、父親の敵(おれたちの敵だ、と絶望的な気持ちでそう思った。おれたちのだ! おれとあの人の両方にとって敵なんだ! あの人が、あそこにいるのがおれの父さんなんだ!)が立っていた。彼の耳には話し声が聞こえていた。そこにいるふたりが話していたのだが、父親はまだ何も言っていなかった。

「だが、その証拠はあるのかね、ミスター・ハリス?」

「さっき申し上げましたじゃねえですか。豚がわしのトウモロコシ畑に入ってきたもんだから、わしはそいつをつかまえて、この男のところへ戻してやったですよ。この男は豚を閉じこめておく柵を作ってねえ。だからそう言ってやった、注意してやったんだ。つぎに逃げてきたときは、わしはその豚をうちの囲いのなかに入れといてやりました。この男が豚を連れに来たとき、わしは囲いを十分修理できるぐらい、針金をたっぷりやったんです。そのあとでまた豚が来たから、今度もわしはそいつをつかまえておきました。馬でやつの家に行ってみたら、わしがやった針金がまだ巻いたまんま、庭に転がしてあるじゃねえですか。わしはやつに言ってやりましたよ。預かり賃を1ドル払ったら、返してやるって。その晩、黒んぼがひとり、1ドル持ってやってきて、豚を連れて帰りました。見たことのねえ黒んぼでした。そいつが言うんです。『あの人が伝えろって言うた。あんたのところの薪や干し草やなんかが焼けることになるぞ、って』。だからわしは『なんだって?』って聞いたんだ。『あんたに伝えるようにあの人が言うたんだよ』って黒んぼが言うんです。『薪や干し草やなんかが焼けることになる』って。その晩です。うちの納屋が燃えた。なかのものは全部運びだしましたが、納屋は丸焼けになったですよ」


(この項つづく)

赤か黒か

2008-10-09 22:53:24 | weblog
子供向けの童話で『いやいやえん』という大変愉快な本がある。わたしが小学生の低学年の頃にはあったので、ずいぶん息の長い本だが、おそらくいまでも愛されているだろう。子供というのは同じ本を飽きずに繰りかえし読むものだが、『いやいやえん』をわたしが読んだのは、おそらく五百回ではきかないだろう。連作短篇の体裁を取っているのだが、すべての章のあらすじが言えるし、いまだにやまわきゆりこの挿絵はいくつも頭の中に思い描くことができる。

保育園の年中組の「しげる」という男の子が主人公なのだが、この子が先生の言うこともお母さんの言うこともちっとも聞かなくて、そのくせ自分を食べようとするおおかみのまんまと裏をかいたり(というか、本人にはそのつもりはちっともないのだが、結果としてそうなってしまう)、ひとりだけでおそろしい黒い山にどんどん入っていって、その山に住む鬼の子と友だちになってしまうような、おもしろい男の子なのだ。

小学生と言えば、保育園(幼稚園)時代なんて、つい昨日のようなもので、しげるたちの世界も身近に感じられてもよさそうなものなのだが、全然そんなことはなかった。まあその保育園にはこぐまもやってくるし、積み木を並べて船を造り、年長さんの男の子全員でクジラ取りにいくような保育園なので、ちっとも身近に感じなかったのかも当たり前かもしれない。

そのなかに、しげるがおねえさんのお下がりの赤いシャツを着せられそうになって、赤は女の色だからいやだよう、と駄々をこねる場面がある。これは確かによくわかった。いまでこそ男の子の着る服も全体にカラフルになって、デザインも女の子と変わらないくらい洗練されている。赤いシャツを来ていたら「女色(※おんないろ、と読む)」などと言われるようなことはないだろう。ピンクだってオレンジだっていまの小学生の男の子は平気で着ている。だが、わたしの頃まで、赤やピンクやオレンジは「女色」で、青や緑や紺や黒は「男色(これも当然おとこいろと読む)」という区分ははっきりしていた。黄色は「安全の色」で、この色に関してはユニセックスなのである。

わたしの弟も、赤ん坊の頃はお下がりのベビー服を嬉々として(ということはないだろうが)着せられていたが、物心つき始めると、「女の服なんか絶対着ない」と言い張るようになっていた。それどころかこまかいボーダーのなかに、赤い線がちょっと混ざっているだけで、「女の服」と言っていたぐらいだ。

子供というのは、実に保守的で、頑固で、融通が利かない生き物なのである。だからわたしは子供の発想が柔軟だ、などというのを信じない。柔軟はむしろさまざまなことを経験するなかで、獲得する資質であるように思っている。

おっと、話がそれた。

ところがわたしは赤やピンクやオレンジが好きではなかった。だが、ランドセルは女子だから「赤」だと思いこんでいた。赤以外のランドセルを自分がかつぐことになるとは想像できなかったのである。だから小学校に入学するときも、当然ランドセルは赤かった。ほんとうに真っ赤なランドセルだったのである。

わたしはださい(当時はまだそんな言葉はなかったが)色だ、と思っていた。それでも自分は女なのだから、仕方がない、と。
ところが登校して驚いた。「赤」というカテゴリーにも実にさまざまな色合いがあるのだ。なかでもくすんだチョコレート色のランドセルがかっこいい、と思った。紺色の制服に実に映えるのだ。ああ、あの色も赤なんだ、と思ったのだった。

ところで、なぜ女の子のランドセル、ランドセルばかりではない、うわばきの爪先のゴム部分の色も、筆箱も、トイレのサインにいたるまで、赤なのだろう。この赤は「女である」ことを示す記号になっているような気がする。

なぜ女が赤なのか、それに対して男は「黒」なのか。
ごぞんじの方、教えてください。

いつだって明るい方を見よう

2008-10-08 22:34:31 | weblog
80年代半ば、核巡航ミサイル「トマホーク」を積んだアメリカ海軍の艦船が横須賀に来るということがあった。

わたしの周囲では、にわかに反核運動が盛り上がり、学習会が開かれたり、寄港に反対する署名が集められたりした。同じクラスの子のなかにも、そういう学習会や集会に参加するうち、ハンストの支援行動や、デモやに参加する子も出てきた。よく覚えてないのだが、最初の頃はわたしもおもしろがって、何度かそんな話を聞きに行ったこともあるような気がする(わたしも名前を知っている作家の講演会もあって、要はその作家が見たかったのだろう)。

そういうところで話を聞いていると、なんだかトマホークの来航を許したら、その次の年にも戦争が始まりそうで、最初は怖くなったりもしたのだが、次第になんだかおかしいぞ、という気がし始めた(もしかしたら親か誰かにそんなことを言われたのかもしれない)。

日本の軍事費がはねあがっているグラフなども見せられ、自衛隊の軍備は世界第何位、などという話も聞いたような気がする。「もう戦後じゃなくて、戦前なんだ」と言われたのも覚えている。聞けば聞くほど「そこで話されていること」と、「一歩外へ出てみた世界」とのギャップが広がるような気がした。

どちらがいったいほんとうなのだろう。あの人たちは、世の中の人間は気づいていない、とか、真実は政府によってインペイされている、と言っているけれど、ひとにぎりの人しか知らない「真実」というのは、果たして「真実」と呼べるのだろうか、みたいなことを、考えていたのではなかったか(そんな言葉遣いはできなかったけれど)。

わたしの周囲の子たちはどんどん盛り上がり、署名板を手に、戦争を許すのか、トマホークの来航に反対するか、みたいな詰め寄り方をするようになった。周囲の盛り上がりとは逆に、わたしはどんどん冷めていった。わたしが署名をしようがすまいが来るものは来るでしょ、と言ったら、「敗北主義者!」とまで言われてしまい、トマホークの来航より、すっかり変わってしまったその子たちの方になんともいえない違和感を覚えたのだった。

その子たちがどれだけ一生懸命に署名を集めたりビラをまいたりしても、やはりトマホークは横須賀に来て、その内のひとりが「なんで来るの」と泣いたのを見たことがある。わたしは、たかだか自分たちが署名したりデモしたりするぐらいで情勢が変わると思う方がどうかしている、と思う反面、そう思う自分がいったい何をしたのか、何を考えたのか、ふりかえらざるをえなかった。何もしない人間が、何ごとか懸命にやった人間(やり方は賢明ではないにせよ)をバカにするようなことをしていいんだろうか。少なくとも、わたしがその子たちを軽んじることはしてはいけないだろう。そんなことも考えたような気がする。なんともいえない複雑な思いといっしょに、その出来事はわたしに記憶されたのだった。

そのあと、予想もしなかったことにソ連が崩壊して、社会主義を標榜する国の多くが雪崩を打ってその看板をおろしてしまった。当時、その子たちがしきりに言っていた「戦争」は、国対国のものではなくなって、局地的な民族紛争に性格を変えていった。もちろん宗教や民族をめぐる紛争はこれからも続いていくだろう。だが、それがどういう方向に進んでいくにせよ、もはや昔のような国家同士の戦闘にはなっていかないだろう。敵と措定できるような国が存在しない時代に、イデオロギー抜きに敵を無理矢理措定しようにも、どうにも無理があるのではあるまいか。

わたしたちは未来に対して漠然とした不安を抱いている。
やがてくるかもしれない「第三次世界大戦」にせよ、連日新聞をにぎわしている金融不安にせよ、あるいはまた地球温暖化にせよ、この漠然とした不安に形を与えたものなのだろう。だから具体的にはそのことのどこがどう問題なのかよくわからなくても、わたしたちの不安を吸収して、いよいよそれは大きくわたしたちにのしかかっていく。

ちょっと前にネグリの『帝国』を読んだのだが、それには《帝国》は、市場を外部へと求め、その外部を内部化するというプロセスを繰り返していった、そうしてとうとう市場はグローバルなもの、「外部は存在しない」という状況にまで至った、と書いてあった。わたしは経済的な知識はほとんどないので、それがどこまで正しいのか、当を得た分析なのかどうか評価できないのだが、わたしの目にはまったくネグリは正しいことを言っているように思えた(そこはそれ、説得されやすい素直な性格ゆえ…)。

なんというか、「ものを作り、それを売り、資本を蓄積する」ことで創出されるような豊かさというのは、きっと二十世紀までで終わってしまったのだと思う。だから「景気を回復させる」のではなく、別の考え方をするしかないのだろうと思う。その別の考え方がなんなのか、わかればわたしはこんなところでこんなことをしていないのだが(笑)、きっと「景気」は、従来の意味ではよくならない。たぶん、良くなる-良くならないという考え方の外に出ることが、大切なのだと思う。

金融不安だろうがなんだろうが、人が生きるということは、ものやサービスを消費するということだ。その「もの」は生産されなければならないし、サービスは提供されなければならない。そういう意味で、経済活動はこれからも続いていくのだ。変なことを言っているような気がしてきたので、わかりもしない話をするのはやめるけれど、とにかく日常の暮らしというのは、続けていかなければならないし、続いていく。そうした等身大の経済は続いていく。

続いていく日常は、人の心に一種の平衡をもたらす。もちろん不安の根元は、この日常が奪われたらどうしよう、と思うことにあるのだが、「奪われるかもしれない」と思うから不安がふくれあがるのであって、不安の正体というのは、実のところ実体のないものだ。実体がないからこそ、根を断つことが不可能なのである。

大学生になって、家を出てしばらく、夜になって点灯する家々の灯りが嫌いだった。あの下に「平凡でどうでもいい日常」があると思ってぞっとしたものだ。当時のわたしは、何かもっと激しいものとか、真実とか、確かなものとか、芸術的なものとか、とにかく日常の向こうにある、もっと身を焦がすようなものを求めていたのだ。

いま振り返ってみると、なんだかとってもこっぱずかしいのだが。

でも、自分が何とか自分の生活を成り立たせようと苦労するなか(人に迷惑をかけたり、不義理をしたり、怒られたり、顔向けできないようなことをしたりしながら)、「どうでもいい日常」というのが、実はすごくいい(なんてほんとうはそんなことに力を入れてはいけないのだけれど)ものだということがわかった。

たぶん、わたしも歳を取った、ということなのだろうと思う。
それでも、わたしはこれだけのことをわかるまで、それだけの時間が必要だった。

気持ちはさまざまに揺れ動く。逆に、揺れ動くから気持ちなのであって、揺れ動かなくなってしまったときの方が問題だ。
けれども揺れ動く気持ちを底でささえるのは、日々の生活なのだろうと思う。

日常は、ドラマとは似ていない。何が起こっても朝は来るし、時間がたてばお腹がすく。お腹がすけばご飯だってつくらなければならないし、食べたら食器は汚れる。洗い、片づけ、掃除する仕事はついてまわる。
そういう「毎日かならずやらなければならないことども」というのは、ふだんわたしたちの意識する幸わせとか不幸せとかいうことと、ちがう位相にあるのかもしれない。それでも日常を回しているのはそんなことだ。

幸せも、不幸せも、本人がそう思いこむことによって成り立っているのだとしたら、明るい方を見ようではないか。


変わること変わらないこと

2008-10-07 22:56:18 | weblog
時代小説を読んでいると、ときどき、「これは現代人の考え方、少なくとも明治以降の人の考え方だなあ。封建社会に生きた人がこんなふうに自分のことを考えたりはしないだろうなあ」と思うことがある。そんなとき、その時代に生きた人の考え方というのは、どうしたってわからないんだろうなあ、と思う。

ところが『徒然草』の百九十四段は、こんな話なのである。

嘘をいいふらしてだまそうとする人がいたとする。それに対して人はどんな態度を取るものだろうか。
1.その嘘を信じてだまされてしまう人
2.嘘を深く信じて、さらに自分の嘘を付け加えてしまう人
3.なんとも思わず関心を持たない人
4.信用するでもなくしないでもなく、考えこんでしまう人
5.ほんとうではないだろうと思いつつも、人がいっていることだからそうかもしれないとそのままにしてしまう人
6,推測してわかったふりをして、利口そうにうなずいてほほえんでいるが、まるでわかっていない人
7.推理してうそを見破り、「ああ、うそをついている」と思いながらも、そう思う自分の考えに自信のもてない人
8.「かくべつどうってこともない」と手を打って笑う人
9.うそと知っているそぶりをせず、しらないふりをする人
10.うその意図するところをわかって、うそをつくりだした人とおなじ気分で、人をだますことに協力する人

兼好さんは嘘に対する人の態度をこのように分類するのである。
この分析が鋭いというより、いまのわたしたちにもすっかり当てはまってしまうので、そちらの方に驚いてしまう。

こう思ったのはわたしだけではなかったようで、寺田寅彦はこんなことを書いている。
これは「嘘」とは事変るが、アインシュタインの相対性原理がまだ十分に承認されなかった頃、この所論に対する色々な学者の十人十色の態度を分類してみると、この『徒然草』第百九十四段の中の「嘘に対する人々の態度の種々相」とかなりまでぴったり当て嵌まるのは実に面白いと思う。科学の事でさえそうである。いわんや嘘か本当か結局証明の不可能な当世流行何々イズムなどに対する人々の態度には猶更よくあてはまるであろう。読者は試みに例えば、マルキシズムに対する現代各人各様の態度を「あまりに深く信をおこして」以下の数行にあてはめて見るとなかなかの興味があるであろう。ありとあらゆる可能な態度のヴァリアチオンが列挙してあるので、それらの各種の代表者を現代の吾々の周囲から物色するとすぐにそれぞれの標本が見付かる、そうして最後に自分自身がやはりそのうちのどれかのタイプに属することを発見して苦笑する人が多いであろう。

人間には時代と共に移り変わっていく部分と、変わらない部分があるということなんだろうか。

更新情報書きました。
http://f59.aaa.livedoor.jp/~walkinon/index.html

サイト更新しました

2008-10-06 22:31:46 | weblog
先日までここで連載していた「読むこと・聞くこと・思い返すこと」を加筆・修正してサイトにアップしました。
ここから派生した問題意識があって、一緒に盛り込もうかと思ったんですが、項を分けることにしました。そのうち続編みたいなものもやっていくつもりでいます。
またお暇なときにでのぞいてみてください。
http://f59.aaa.livedoor.jp/~walkinon/index.html

imaiさん、書きこみありがとうございました。
非常に興味深く、今回のログでも(直接反映はできませんでしたが)大変参考になりました。またゆっくり返事は書かせていただきます。