喜♪きりん

人が苦手なのに何故か販売員をしてる人の日々あれこれ

大好きなあのドラマについてダラダラ語る。

2023-03-31 02:18:00 | 春馬くん


私は「わたしを離さないで」大好き女だ。

実は春馬君の出演ドラマで一番すきなのがこれである。そして彼の沼に嵌った作品でもある。

これを見ていなければこの3年近く涙に暮れることも春馬棚が出来上がる事もなかった。まさかここまで彼に夢中になるなんて本当にきっかけのこのドラマは罪としか言えない。だが後悔はしていない。出会うべく出会った作品だと思っている。

わた離を見るまでは春馬君は華やかで爽やかで何でもできるイケメン俳優だと思っていた。だからこんな暗くて難しい役をやるなんてと驚いたものだ。アミューズもよく承諾したよなあ。

ここでサラッとネタバレしてしまうが、彼の役は人ではない。人の形をしているが複製品だ。俗に言うクローンである。一人の遺伝子から生まれたコピー品なのだ。

時代背景を考えるとあり得ない話だ。2023年の今でもクローン人間は実在していないのに2016年のドラマで作られている。まあ、原作は海外ものなので近未来の話かもしれないがドラマの中に出てくる人達は見かけはただの人間だし病院などの建物は今と変わらない。

物語は森の奥にある閉鎖された学校から始まる。主人公の幼少時代から進むのだか、この子役たちがそのままに大人になったようなキャスティングは見事である。

クローンである事、自分はいつか主人(遺伝子を持つ人つまり本体)のために臓器を提供しなければならないという事、その事実を知らされぬまま子供達は学園で学んでいる。彼らの周りには本物の人は数人しかいない。そして彼らが巣立った世界には三種類の人間しかいない。

本体と提供者と世話人

提供者は体を差し出しその消滅に向かって生きるだけ、世話人は彼らの介護をしながらもいずれ提供者となる日が来る。
そんな殺伐とした人生(というのか?)でも主人公達は自我を持ち、仲間の一人がこの制度に反発して自ら果てることもある。救いがない話だなと思いながらも自分はいつのまにか彼らに感情移入しているのに気付いた。
もちろんクローン側からの視点だからというのもあるだろう。主人公が三人で三角関係のようになっているからかもしれない。だけど1番の原因は私と同じ人である本体の心を感じないからではないだろうか。
偽物である彼らが喜怒哀楽を出し悩んだり叫んだりしているのに人間は人間味を感じない。

すごいと思った。

どちらが上位かで言えば提供者側は本体のクローンなのだから偽物であり贋作品である。はっきりいって本体に臓器を提供するだけしか価値がない。ストーリーはその事を堂々と示すのに彼らに考えさせるのだ。

自分は何者なのか?
友情ってなに?愛ってなに?夢って何?
それって持ってもいいの?感じてもいいの?

私は誰かのための泣いてもいいの?

主人公の一人の女性はずっと葛藤する。
葛藤する必要がないのに悩むのだ。
その残酷な現実が私の胸を打った。

重いドラマである。
考えられない背景である。
だけどこの先移植治療が進んでいったら?あり得ない未来とは決して言えないだろう。

もしこれから何か春馬君出演を見るとしたらこの作品は手放しではおすすめ出来ない。もっと明るくわかりやすい作品を薦めると思う。

だけど彼がこの作品に出演してくれて出会わせてくれて私は感謝している。

華があってきらめいていた輝きの彼よりも瞳の奥に深い闇をたずさえながらも懸命に生きていた友彦に会えて本当に良かった。

全編通して見るのはエネルギーがいるので元気な時でないと負けてしまうけど、今度は映画や原作本も読んでみたい。

あーここまで感情に任せてダラダラ書いてしまった。でもたまにはいいよね

追記

恥ずかしい、大好き女だなんて。
物語の根本的な部分を勘違いしていました。

私は彼らの臓器はオリジナルのために提供されると思い込んでたのですが、実際はただの臓器提供するために作られただけなんですね。選ばれたのか志願したのか遺伝子を差し出した人がいてそこから生み出された不特定多数の移植希望者のための存在だったんだ。なのでわた離の世界ではオリジナルと提供者(介護人)とその他ですね。
これであってるかな?猛反省です。
自分の読解力の無さが情けないわ。
しかも映画版を見て気が付いたという。

ドラマより淡々としていて説明セリフがほぼないので難しい映画でした。この感想はまたおいおい語るとして、ちょっと原作を買って勉強し直します。

間違った解釈の感想文は自戒のために直さないで置きます。あー恥ずかしい。


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