最近ある本を買いました。
短歌の本で彼をモチーフにした作品があるというので見たくなった。
短歌は私にはよく分からないけれど、肉親の悲しい別れとか世界情勢の厳しさについて作られたであろう作品は心に来るものがあった。
が、彼の事を書いたであろう短歌には違和感、何なのかなこの自分に酔っている感じは。
それ以外の作品は感じなかったのにな、この人本当にファンなんだろうかとTwitterをたどったら案の定「その日まではファンでなかった人」でした。
やっぱりなと思いました。
本には同じ死を書いた作品もあるのに悲壮感がまるで違う。現実と空想いや妄想そのくらいの差がありました。
年齢は私より少し下、この年代の一部があの日以降に彼の虜になる現象って何だろう。異常なまでの庇護欲と独占欲が共通しているのは分かるけど自分を含めとにかく酔っているんですよね。
男性はサーフィンの人を始め彼を我が子のように大事にして悲しんでるし、女性はボイトレ先生を見れば分かるように子供、弟というより私の大切な人、恋人か?ってくらいの熱烈な思いが見える。
この短歌の人もそう感じました。
他の作品は理性があるのに、彼を書いた部分だけ乙女というかクソデカ感情が曝け出されている。何だろう初恋?片想い?もう会えない人に伝えられない思いをぶつけているようでああ、この作者あの後恋しちゃったんだなって一緒だなって思いました。
ずっと彼を見てきた人とはまた違うんですよね。思い出がないから想像になってしまう。誰かから聞いた事や後で見た画像から想像を巡らしてしまう、絵本の中の王子様に恋するのと同じように彼を見ているからどうしてもポエミーになってしまう。
そこまで大人の女性を惹きつけてしまう彼ってすごいなと思うと同時にこの思いが報われないまま(もう報われることはないのだが)度を越すと盲目になったり陰謀論者になったりスピリチュアルに感化されたりすると思うと恐ろしい。
私も他の推しがいなかったらきっと違う方向に行ってたと思う。これはすごく根深い問題。
陰謀論者について取材している人はこの辺をもっと踏み込まないで書かないから読んでも少しも共感出来ない。
もともとその素質があった人と度を越してなってしまった人とは別々に考えないといけない気がする。
あの後ファンって悲しむというより悲しむ自分に酔っている自分もそう。
自覚しているから度を越さないように気をつけているだけで本質はあの人達と同じなんだよな。だから余計に反面教師にしようと思っている。
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