喜♪きりん

人が苦手なのに何故か販売員をしてる人の日々あれこれ

彼のいた時間を慈しむ

2022-03-30 03:30:51 | weblog 2022
私は新規だからリアルでみていない映像に対し、実はこうだったんじゃないかとか、無理やり笑顔を作っていたとか、この時から苦しんでいたとか言えない。

リアルタイムで見ていた人がその時に「何か元気ないね」とか心配するのは分かるんだよ。

過去の映像を彼の不在に繋げる人は何なんだろう。
過去は過去でその時は辛かったかもしれないけど乗り越えたかもしれないじゃん。だから彼の過去の発言にこだわる必要はないし、他人があれこれ推測するものじゃない。

不在という結果ありきで彼の生きた時間を全部捉えているから、勝手に苦しんで悔しがって自分を痛めつけて「助けてあげたかった」って言ってるけど、いやそれ全部あなたがそういう方向に都合よく考えてるだけだから、って言いたい。

週刊文春エンタでCDBさんが書いた「彼がなぜ死んだのかではなく、彼がどう生きていたのか」こうであってほしいのに最後のピースをピッタリはめる事だけに意識を向けている。そんなの無理に決まっているのに。

それよりもそのピースを外して見て欲しい。彼の生きた時間を

晴れやかな青空があれば曇りもあったり川のせせらぎの横には海原が広がっていたり決して統一したものにはならない。人生ってそんなもの。
なのに最後のピースをはめてすべてを繋げようとしているあなた達はその絵を真っ黒にしたいの?

よく見て欲しい、最後のピースは真っ黒かもしれないけど、それを置いたって他のピースが変わるわけではないんだよ。その黒だけを見ているからすべてが曇るんだ。でも外せば気付くはず。一つ一つのピースがどれだけ明るくて綺麗かをね。

その人の生きた一つ一つの証を愛おしむ。
その色も形もその人自身、それを大切にして最後のピースを片隅に置けばいい。偲ぶってそういう事じゃないのかな。

彼の仲間は皆そうしてると思っている。

追記

追及派は彼の最後のピースを真っ黒だと思っているかもしれないけど、彼にとっては真っ白だったり光り輝いていたかもよ。そのくらい人の心なんて分からない。
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