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2024 5/4の拝観報告3 最終(東七条 部落史研究者とめぐる、京都最大の被差別部落 まいまい京都)

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写真は、柳原銀行記念資料館の1階。

結局宇治で肉屋 黒川を諦めて、JRで京都駅に戻ってきました。
京都駅から徒歩で塩小路通を東へ。
13:30頃にやって来たのが、柳原銀行記念資料館です。
この日は14:00から、まいまい京都の「東七条 部落史研究者とめぐる、京都最大の被差別部落」でした。

もうこのツアーに参加した理由はいいでしょう。
京都生まれ育ちでいると、なかなか立ち入れない場所であり問題でしたので。
正直子供の頃は「あのエリアには近寄るな」と親に言われていました。
今回はある程度の情報は勉強しておこうと思いました。

まずスタートは河原町塩小路の南東にある柳原銀行記念資料館から。
参加者は16名で、参加費は4,500円でした。
柳原銀行記念資料館は部落の方に融資するために作られた柳原銀行を移築したもので、元は河原町塩小路の南の突き当りにありました。
そもそも河原町通が塩小路でほぼ突き当りのようになっていました。
僕もその風景は記憶にあります。
でも通行量の多い河原町通でJRを超えて南進出来ないと渋滞の原因になりますしね。
道路を拡幅する際に、取り壊さずに移築したんです。

もともと部落街は今の菊浜地区、河原町五条の南東側にあり六条村と言われていました。
江戸時代は亡くなった牛の解体を部落の方がしており(死体はけがれているという発想からのよう)、雪駄の汎化(裏が牛革)とともに結構繁盛したそうです。
そこで手狭になったので、さらに南側の塩小路エリアに移ったそう。
南側になったのも当時そこに銭の鋳造所があり、土壌が汚染しており農耕が出来ない土地だったからだそう。
そして八条通から北が部落のエリアで、八条通から南が在日の方のエリアと別れていたそうです。
またこの辺りは御土居の付け替え、高瀬川の流路の変更などで、地勢が結構変化しているのも現地で教えて下さいました。

最終的には七条通から北上し菊浜地域に向かい、16:30頃に川端正面付近で解散になりました。

今回は祝日で柳原銀行記念資料館が閉館していたので、また改めていこうと思いました。
この日はこれで帰宅しました。

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