日守麟伍の和歌(うた)日記 Ringo Himori's Diary of Japanese Poetry

大和言葉の言霊の響きを求めて Quest for the sonancy of Japanese word

『古語短歌物語 花の風[読み仮名・現代語訳付]』6巻、後半

2011年01月12日 | 日記
 男は仕事で、めずらしく長い距離を移動することになった。
 空気が湿り気を帯びた夜明け時、幹線沿いの町並みは、夢の中のようだった。

あさぎりに ものみなうかび にじみつつ あけそむるひに あわくとけゆく
朝霧に もの皆浮かび 滲みつゝ 明け初むる陽に 淡く融けゆく

(朝霧の中に、建物も木立も浮かんで見え、川も空も滲んで見えているのが、朝日が強くなってくると、淡雪のように融けて、しだいに輪郭がはっきりしてきます)

 バスが大きな公園を通り抜けると、木々の影が車窓に点滅した。

ちにそいて こだちをもるる あさのひの しろきはだえに うきてかげろう
地に添ひて 木立を漏るゝ 朝の陽の 白き肌に 浮きて影ろふ

(昇る朝日が、地面に平行に差し込み、木立を漏れてきて、白い肌の上に、陽炎のようにゆらゆらと浮いています)

 夜遅く帰宅した翌日、男は、昼過ぎまで寝て過ごした。人気のない昼下がり、男は近くの雑木林の中で、長い時間を過ごした。

ききいれば ながなくとりの こえやみて かれしくさはに あまおとのしく
聴きゐれば 長鳴く鳥の 声止みて 枯れし草葉に 雨音の布く

(耳をすまして聞き入っていると、鳴き交わす鳥の長い鳴き声が止んで、しばらくすると、枯れ草と枯葉の上に、一面の雨音がしずかに落ちはじめました)

したくさに ちりしくあめの おとやみて いさこうごとき とりなきかわす
下草に 散り布く雨の 音止みて 諍ふ如き 鳥鳴き交はす

(木立の下草に降り布いていた雨音が止んで、鳥が争っているように、やかましく鳴き始めました)

はるのあめわ もりのしずくと しただりて しずまるなかに とりなきわたる
春の雨は 森の雫と 下垂りて 静まる中に 鳥鳴き渡る

(春の雨が樹冠のまばらな森に降ってきて、ところどころで雫になって滴り、静かな音をたてる中に、鳥が一声長く鳴いて、飛んでいきました)

 雑木林を出ると、空を大きな雲が覆っていた。

うすずみの くもをこがねに ふちどりて あまてらすひの かげのみぞみる
薄墨の 雲を黄金に 縁どりて 天照らす陽の 影のみぞ見る

(大きな雲に覆い隠された太陽が、薄墨色の縁を黄金色に縁取って、仏像の光背のように輝いています)

 この不思議に美しい時の過ぎ去ることが名残惜しく、男はたびたび足を止めて、周囲の花々や木々を見渡した。


とりなきて かぜしずかなる はるのひに ゆきこうひとの あしおともなく
鳥鳴きて 風静かなる 春の日に 道行く人の 足音もなく

(風が吹くともなく、日差しの暖かい春の昼下がり、近くで突然鳥の一声がした。耳をすましていると、少し離れた道を人が歩いていき、その足音はここまで聞こえてきません)

しろくあかく みなれしみちに さくはなの いろとりどりに かくわうれしき
白く赤く 見慣れし道に 咲く花の 色とりどりに かくは嬉しき

(白や赤や、さまざまな色の花があちこちに咲いて、見慣れた道がこんなにも華やいで、なんと嬉しいことでしょうか)



*   *   *

 それから数年が過ぎたある日、女から長い便りが届いた。
 この一年は精神的に辛い生活を送ったこと、仕事を辞めたこと、救いのない日々に一人の男性と出会い、理解し合って、結ばれたこと、近々自分の誕生日に入籍する予定であること、などが書かれていた。

 読み終わったとき、男の心は大風の吹き荒れたあとのように、静かになっていた。

 男は女に短いお祝いを書き送り、尽きせぬ思いをこめて、「次の世でまたお会いできますように」とだけ書き添えた。「その時は、お互いにそれと気づきますように」という言葉は、書いては消し、消してはまた書いているうち、最後はどうしたのだったか、忘れてしまった。

 さようなら! この人生では結ばれることのなかった、運命の人。

なにをかも はなむけにせん よのなごり いでたついもを わすれがたみに
何をかも はなむけにせむ 世の名残り 出で発つ妹を 忘れ形見に

(花の季節に旅立つあなたへ、何を餞別にお送りしたらよいのでしょうか。私はなつかしいあなたの面影を、忘れることのできない形見にして、ずっと持っています)

のちのよも せめてあわんと ねがいたる おもいをいもや いかにききつる
のちの世も せめて会はむと 願ひたる 思ひを妹や 如何に聞きつる

(今度生まれ変わった世でも、せめてまた会いたいという私の思いを、あなたはどのように聞いたのですか?)


                                ―了―
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