日守麟伍の和歌(うた)日記 Ringo Himori's Diary of Japanese Poetry

大和言葉の言霊の響きを求めて Quest for the sonancy of Japanese word

『古語短歌物語 花の風』解説(後半)

2011年01月22日 | 日記
   実作
 短歌を詠もうと思った人は、まずどの短歌の会に入ろうか、と考えることが多いようです。基本的にはご縁のあるところに行くしかないのですが、私の個人的な考えとしては、少なくとも一定以上の才能と能力を持った人は、古典を先生として、自ら学ぶことをお勧めします。右も左もわからない場合は、結社に入って、先生や先輩から教えてもらう必要がありますが、そういう方はこのような文章は読まないでしょうし、読んでもわからないでしょう。
私がここで述べていることの意味が多少ともわかるほどの人は、すでに一定以上の才能と能力がある人ですから、ぜひお一人で、古典を先生にして、古典と対話しつつ、短歌を詠んでください。
その場合、すべてを名歌として、宗派の経典のように崇拝する必要はありません。万葉から新古今、近現代の古語短歌を見るうちに、自分が詠む歌と近い感性、姿勢、スタイルをもっている歌人が、おのずと絞られてきます。その歌人と対話をするように、練習をされるとよいでしょう。画家の練習が、名画の模写から始まるのと、同じことです。
歌の推敲も、先人と対話をするようにされれば、同時代の師匠や先輩と対話をし、指導をしてもらうのと、同じことです。文字に書かれた作品を通して、先人と内的な対話ができる人は、すでにそのようにする資格があります。
私事を申して恐縮ですが、かつて『玉葉集』を読んでいて、「この歌は自分の好みに合う」「自分の詠んだ歌と似ている」と思ったものが、いくつかありました。そしてその多くは、京極為兼の歌でした。周知のように為兼は玉葉集の選者であり、私が自分の所属を「玉葉舎」と称しているのは、このような縁からです。生身の師匠や弟子がいるわけではなく、時空を超えた魂の結社だと考えています。同じ魂をもった方は、『玉葉集』を学び舎と思ってください。
もっと具体的なこととして、古語短歌を詠む場合、どの時代の言葉や意味で使うか、という問題があります。語義が変遷していたり、時代によって頻度が違ったり、中世以降、ほとんど使われなくなった言葉もあるからです。また万葉調なのか、新古今調なのか、「ますらおぶり」か、「たおやめぶり」かという、調べ(調性)に関する古い議論も思い出します。
私の個人的な作法としては、日本文化の遺産としての古語や調べは、時代や地域の区別なく、自由に用いたほうが、豊かさを増すと思います。伝統や流派に拘るのは、縄張り争いや組織防衛が、自己目的化したためではないでしょうか。現代人が、奈良時代特有の言葉と、江戸時代特有の言葉を混ぜて用いて、ある美しい作品ができたとすれば、その作品の勝利です。
言葉や調べは、和歌を詠むという一連の成り行きの結果であって、あらかじめ指定された目的のための道具ではありません。古語辞典を参考に、種々の用例を参考にしながら、自らの作品の出来高によって、また自分がその短歌を詠むことでどれほど高められるかによって、判断基準としてください。
和歌は、自分の心からあふれてくる思いを、自分の大切な思い出として形作る、誰の邪魔にもならない、言葉とイメージの記念碑です。美しい無形の記念碑を作るために、不必要な制約は少ないほうがよいのです。
なお、現代語を用いた短歌については、あえてコメントすることは避けたいと思います。それは別のジャンルであり、私の美意識では鑑賞できないからです。


   発表の仕方
 短歌を詠んだあと、歌集として発表されることを希望される方が多いのですが、私は物語形式の中に、歌を綴ることをお勧めします。理由は次のとおりです。
 俳句と短歌に対して、かつて「第二芸術論」という批判が出されたことがあります。批判者はフランス文学者の桑原武夫京都大学教授(当時)でしたが、趣旨としては、こういう短詩形式は、状況説明の補足なしに、そのものとしては十分な文学鑑賞に堪えない、というものでした。有名な短歌や俳句は、すでに多くの解説や紹介があって、そのおかげでわれわれも背景がわかって深く鑑賞できるわけですから、この批判は当たっているところもあります。
 反論としては、解釈が自由で鑑賞の幅が広いのが、短歌や俳句の長所であるとか、あるいは歌枕や季語、本歌取りなどの技法を知っていれば鑑賞できる、むしろそのような基礎知識を要するのが短歌や俳句の特徴だ、知識のない者が鑑賞できないのは当然だ、というものもありました。この反論も、一理あります。
 俳句が現在世界的に受容されているのは、周知の通りですが、短歌は外国人が理解するには難しすぎるところがあります。この意味で、俳句が「第二芸術」であることが流行の条件であった、と皮肉が言えるのかもしれません。ただし、作者の意図に沿った鑑賞をしようとすると、作者の生き方や考え方を探る必要があり、それは俳句の鑑賞においても、必ず起こってくる不可欠の作業です。
 したがって、俳句や短歌を、作者の意図通りに鑑賞してもらうには、状況説明があるべきだろうと思います。和歌の伝統にある「詞書(ことばがき)」は、長短いずれも状況を説明するものでした。このような詞書をもった短歌をつなげたのが、『伊勢物語』にはじまる歌物語に他なりません。芭蕉の『奥の細道』も、そのスタイルを踏襲したものです。
 自分が詠んだ歌を、まずは自分の意図どおりに受け取ってもらうのが、作者の第一の願いではないでしょうか。私たち歌詠みは、自分の人生から生まれた歌を、自分の外的なあるいは内的な歩みの記念碑として位置づけています。したがってそれは、必ずや一続きの物語になるはずです。人生の中に埋め込まれることで、自分にとっての意味が定まります。
万一、それが多くの人に鑑賞されるようになり、のちに本文から独立した歌となって流通すれば、作者の手を離れた共有財産になったということです。作品が万人のものとなること、これは創作者の最も大きな望みでしょう。
 なお、最も具体的な問題、つまり発表の媒体としては、伝統的な出版形式のほかに、私がここでやっているような、インターネット上の発表もお勧めします。最大の理由は、コストがほぼゼロということです。


   *   *   *
どうぞあなたも古語短歌を詠んで、日本語が母語であることの喜びを味わい得る人になってください。時空を超えた不可視の結社「玉葉舎」に、もののあわれを知る魂たちがゆるやかに集い、そこかしこで折々に詠まれる古語短歌が、大和言葉の美しさ、大和心の美しさを、末永く伝える一助となりますよう、心から願っています。

                                日守 麟伍 (玉葉舎)

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