彦根の歴史ブログ(『どんつき瓦版』記者ブログ)

2007年彦根城は築城400年祭を開催し無事に終了しました。
これを機に滋賀県や彦根市周辺を再発見します。

11月11日、筑紫国造磐井の乱平定

2013年11月11日 | 何の日?
継体天皇22年(528)11月11日、物部麁鹿火(もののべ・あらかひ/あらかい)が磐井との戦いに勝利し、筑紫国造磐井の乱(つくしのくにのみやつこいわいのらん)を平定し、磐井を処刑しました。

筑紫国造磐井の乱は528年に九州の豪族・磐井が大和朝廷に対して起した反乱で、大和朝廷から派遣された討伐軍六万と名将・近江臣毛野(おうみのおみけの)を相手に磐井は一年近く戦い続けたのです。
結局、磐井が敗北して斬殺されて磐井の乱は平定されるのですが、なぜ磐井が反乱を起したのかというと、当時の皇位が大きく絡んでいるといわれています。

当時の天皇は継体天皇といってその前の武烈天皇とは血の繋がりが薄い人物だった(全くの他人という説が強い)。
その他ために各地で反乱が起こり、継体天皇は皇位を継いでから都に入るまでに20年を要した程だった。のです
そんな頃、当時日本が支配していた朝鮮の土地“任那(みなま)”が百済(くだら)に奪われたために磐井が継体天皇への不審と自分でも大王(天皇)になれるかも知れないという野心を抱いたのでした。

磐井の勢力は巨大で、一年近い長期間を戦い続ける戦争は日本国内では古代に起こったこの例しか残っていない程なのです。


ちなみに近江臣毛野は近江では大きな勢力で、米原の山津照神社にある古墳や

古篠原(野洲)の藤ノ腰古墳は

この一族の古墳だといわれています。


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