彦根の歴史ブログ(『どんつき瓦版』記者ブログ)

2007年彦根城は築城400年祭を開催し無事に終了しました。
これを機に滋賀県や彦根市周辺を再発見します。

直孝神社

2020年05月08日 | 史跡
昨日、六はら山に移された北条仲時の墓について書きましたが、この墓石の麓に直孝神社があります。

祀られているのは、稜威直孝彦命。つまり彦根藩二代藩主井伊直孝です。
稜威(いつ)は、厳に通じ「神聖で威力を持つ」にも通じてる意味なので、直孝を神格化したしたことには間違いありません。
しかし、寛永20年(1643)に勧請されたとも言われていて万治2年(1659)に直孝が亡くなる16年も前から祀られていたとも考えられず、謎が深まります。
ちなみに、古くは「溝尻神社」直孝神社と称されるようになったのは滋賀県神社庁のHPでは正和49年からとされていますが、「正和」と言う元号は鎌倉末期に6年間だけあった元号(執権が北条仲時の父基時から高時の頃)で、正和49年は存在せず、正和は昭和の間違いです。
しかし、溝尻神社と称される頃から稜威直孝彦命を祀つていたのは間違いなく、本殿には橘紋も刻まれています。


さて、そこで不思議なのはこの直孝神社の鳥居からまっすぐ正面の参道は六はら山を進んでいて、山に登る直前で直角に曲がって本殿となることです。
そのまま山を登ることは山が険しくてできませんが、位置としては北条仲時の墓にまっすぐ向いているようにも感じます。



直孝神社と仲時の墓に因果関係を示す資料は何も見つけていませんが、彦根藩主に馬上の無礼を咎めた仲時の墓の直下に彦根藩井伊家の祖とも言える直孝(直政は彦根藩よりも直勝・直孝の両家の祖)を祀る神社があることに不思議さを感じます。

もしかすると、最初は寛永20年に直孝が神社を勧請して、直定が仲時の墓を移動させたときに直孝を神として祀り、仲時を見張らせたのかもしれませんね。


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