彦根の歴史ブログ(『どんつき瓦版』記者ブログ)

2007年彦根城は築城400年祭を開催し無事に終了しました。
これを機に滋賀県や彦根市周辺を再発見します。

5月9日、北条仲時自害

2020年05月09日 | 史跡
元弘三年(1333)5月9日、北条仲時ら432名が近江国番場の蓮華寺で自害しました。
仲時は、13代執権北条基時の子で六波羅探題北方を勤めていましたが、足利高氏の挙兵で六波羅探題が攻められ敗れたのです。
東山道を鎌倉に向かって逃れますが、野党などにも襲われ兵たちは散り散りになります。
そして、柏原に拠点を持つ佐々木道誉に阻まれ蓮華寺本堂前で自害したのです。


仲時ら432名のお墓は蓮華寺にありますが、彦根藩主が馬で墓参りに来たために、その藩主の夢枕に仲時が立ち「我を馬上から見下ろすとは何事ぞ」と怒ったために、仲時の墓は蓮華寺向かいの山の上に移されました。

そして、蓮華寺には新たな墓石が作られました。
(新型コロナのため、蓮華寺にお参りに行けませんでした)
仲時の墓が置かれた山は「六はら山」と呼ばれています。

は蓮華寺と向かい合うようにあります。

そして近くから蓮華寺が見えます。


これは享保年間とも言われていますので、その話が正しければ、彦根藩主は井伊直定になります。
直定は、残された甲冑に武骨さがあり積極的に狩などを行う人物でもあったので、馬から降りないまま蓮華寺の参道を進んだ可能性はあるかもしれないと思えてなりません。

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