彦根の歴史ブログ(『どんつき瓦版』記者ブログ)

2007年彦根城は築城400年祭を開催し無事に終了しました。
これを機に滋賀県や彦根市周辺を再発見します。

ひこね丼祭

2012年01月14日 | イベント
彦根市の新名物として募集された「ひこね丼」
その販売が、1月14日から始まります。そして3月31日まではキャンペーンも行われています(4月1日以降も販売があるのか?ですが…)

そんな販売開始初日に合わせて、ひこね丼祭が行われました。
会場では、ひこね丼の旗が立っていて、

やちにゃん

ひこにゃん

が頑張ってアピールしていました。


ひこね丼という特定の基準があるわけではなく、地元の食材を使った丼を募集してその中から選ばれたレシピを総合しているようです。
ですので全部で10種類あり、その中で3種類が優秀賞を貰ったそうです。
そんな優秀賞3種を味わってみました。

“ひことろ丼”

“ひこね赤鬼どん”

“ひこねの赤どん”


彦根と言えば、赤であり近江牛なのですが、近江牛は簡単に食べるにはお値段が…
そう言う意味では、赤こんにゃくをお肉のように使ってカツにしたひこね赤鬼どんはなかなか面白かったです。
ひことろ丼の赤い糸こんにゃくには縁結びの意味を付けたそうですよ。
そしてひこね赤どんのひつまぶしも面白い。

基本的な食材は、赤こんにゃくと牛のすじ肉が共通する物だったように思えます。

彦根市内のお店でひこね丼を食べて、ひこにゃんが持っている幟と同じデザインの箸袋を3枚集めると先着3000名にひこにゃんグッズがもらえるそうです。

1月14日、タロとジロの日

2012年01月14日 | 何の日?
昭和34年(1959)1月14日、南極でタロ・ジロの二匹の犬の生存が確認されました。
テレビドラマ『南極大陸』放送時に、このドラマと湖東との関わりを書きましたので、今回はこの話を紹介しておきます。


昭和31年に第一次南極観測隊と一緒に南極へ向かった15頭のカラフト犬は、そのまま南極に越冬する隊と共に、建造されたばかりの昭和基地に残って、南極での越冬に成功します。
翌年に、第二次観測隊との交代と共に、カラフト犬たちの世話も引き継がれるはずだったのです。

しかし、天候などの悪条件から、ひとまずは第一次越冬隊が昭和基地を離れることになり、犬たちは鎖に繋がれたまま置いて行かれることになるのです。
この行為が後に非人道的な措置と責められるのですが、犬と共に生きた日本人にとっては非人道的に思えても、今まで犬がいなかった南極にいきなり外来種である犬を解き放つのは下手をすれば生態系を崩しかねない危険性もあったわけですので、現在の視点で考えるなら、この措置は(たとえ残った犬がオスだけだったとしても)正しかったという説もあります。
いずれにしても、昭和基地から第一次越冬隊が離れたあと、第二次観測隊が昭和基地に入ることはありませんでした、そして犬たちを置き去りにしたまま日本へと帰国することになるのです。

そして、第三次南極観測隊が昭和基地へ向かうのです。
昭和34年1月14日、無人のまま放置されていた昭和基地の様子を探るために、南極観測船「宗谷」からヘリコプターが飛び立ちます。
上空から昭和基地を見下ろすと、2頭の犬が生存していることがわかり、ヘリを着陸させると寄って来たのですが、あまりにも風貌が変わっていたので、ヘリの操縦士はどの犬なのかがわからず、一旦宗谷に戻って、第一次越冬隊に参加していた北村泰一氏を連れて再び昭和基地に向かいます。
そして、北村氏が、犬の名前を読み上げると「タロ」と「ジロ」で反応があったので、この2頭であることが確認されました。

こうして、奇蹟が日本に伝えられたのです。こののち、ジロは昭和35年7月9日に南極で亡くなりますが、タロはジロの亡骸と共に昭和36年5月4日に帰国します、その後9年間日本で過ごすのです。


余談ですが、『南極物語』や『南極大陸』では、第一次越冬隊のなかで重きをなした人物がタロとジロの生存を確認しますが、この人物のモデルである菊池徹氏は第三次南極観測隊には同行していません。
ですので、高倉健さん(『南極物語』潮田暁)や木村拓哉さん(『南極大陸』倉持岳志)が、2頭と再会するのはフィクションです。
実際に再会した北村泰一氏は、『南極大陸』で山本裕典さんが演じていた犬塚夏男のモデルですので、あの若い犬かかりの青年が、2頭との再会を果たしたことになるのです。