中学生とか高校生だったころは、
古文の授業とかいってもほとんど(なんだそりゃー)くらいに思ってて、
単語の意味も文法も分かんないわ、
平安時代の発音には爆笑だわ、てな調子だった。
それが大人になってどういう風の吹き回しだか、
「地歌」なんていうことを習ったりしてると、
たぶん人様よりもずーっずーっとマニアックな文語体に触れる機会が多くて、
(なんだそりゃー)と思ってたよな言葉で歌を歌うなんてことをしてたりする。
源氏物語とか枕草子とか徒然草みたいなんじゃなく、
そうやって歌になっちゃってるほうが、
むかし思ってたよりずっと古い言葉でも意味が分かるよな気がする。
それでつらつら、譜読みしながら歌ってみると、
“女の情感”的な歌詞の歌の多いこと。
つれない男への恨みつらみとか恋しい男への想いの丈とか。
そのことすら、歌いながらも、ふーん、てな感じだったんだけど。
なんか最近ふと、ちょっと待てよって思ったりして。
昔の歌であればあるほど。
これ作ったの、男子だよな、と。
曲も歌詞も。
源氏物語をネタにしてみましたというのも多いけど、
とはいえ、歌にしたのは男子だよな、と。
それというのは。
現代の人とはくらべもんにならないくらい、
むかーしむかしの男子は、
女ゴコロの深ーいところまで想像したり察したり読み取ったりするっていう感性が、
とてもとても優れてた(芸術作品として後世に残るぐらい)てことだよな、と。
中学のときの校長先生が朝礼のたんびに言ってた、
「人の心の分かる人間になりましょう」
てのは、こうゆう感性のことかもなぁと、
しみじみ思ったりするのでしたとさ。