人1人の命は重い。
今日は、社会起業家についての情報収集をしていた。
日本で社会起業家といえる活動を行っている個人についてのケーススタディである。
昨日のNewsweekみたいな派手なメディアに露出するのは、どうしてもメジャー路線の駒崎さんぐらいなんだよな~…などと嘯きつつ、先生が口にしていた団体名なぞ思い出してはネットサーフィンしていた。
“愛という名の大きな船の乗組員”という意味の名前を冠する団体がある。
自身も薬物依存に苦しんだ経験を持つ若い女性が、同じ問題に苦しむ人たちを救いたいと立ち上げた更生の場である。
大手メディアでも取り上げられた優れた取り組みであり、これを立ち上げた代表も優れたアクティビストとしてその筋では評価の高いケースである。
この団体のブログを開いてみて、
――あれっっ!!!
思わずデスクで大きな声を上げた。
「謹んでおしらせいたします。代表は、7月13日午前4時17分、永眠いたしました。」
今年の秋、博士課程の公開講座で話してもらうはずだった。
凡人の想像を絶するような大変な思いをしながら活動して来られたであろう、その貴重な経験談を、お会いして聴けるのを楽しみにしていた。
その人の急逝である。
まだ会ったこともないのに、このニュースを目にした途端、なんだか力が抜けて、異様な空虚感に襲われた。
突然、目の前にぽっかりと大きな穴が開いたような、その暗い大きな穴の前にぽつんと取り残されたような気持ちになった。
もう仕事をする気もしない。
とりあえず、先生に訃報を知らせ、あとはただ虚脱感に身を任せてこうして雑感を記している。
知っている人であろうとなかろうと、今の今まで同じ空の下にいたはずの人1人の存在感は、これほどに大きい。
人1人の命は、重い。
心からご冥福をお祈り申し上げます。