『スーパーマリオブラザーズ』シリーズがゲームとして優れている理由その2は、人間の本質を突いたゲーム設計で多くの「生きる智恵」を学ばせてくれる、という点です。
まず、敵の配置。勇んで駆け出すと必ずそこに敵がいます。たとえ残り時間のカウントダウンが始まっても、常に冷静に、周りを観察して進まねばなりません。
敵の特徴。同じ形なのに違う動きをするのもいます。ジャンプでかわせばそのまま行き過ぎるのもいれば、しばらくして戻ってくるのもいます。これらはよくよく見れば、少し色が違っていたり、顔つきがちょっぴり違ったり。派手なヤツほど毒をもつのは、自然界の鉄則と同じです。
土管とブロック。ほとんどが「ただの」土管やブロックだし、うっかり土管に飛び乗ると、敵が顔を出してきて火を噴かれたりもしますから、常に警戒心は必要です。しかし、時にはボーナス面に続くワープ土管や、連続コインゲットができるブロックが、何食わぬ顔でまぎれているのです。利益の追求は人間の本能。土管があればとりあえず入ってみようとし、ブロックがあればとりあえず1発ぶちかましてみましょう。せっかくですから。
そして何といってもコイン。道端に黄金色に輝くコインがずらずらと落ちていれば、そりゃあ拾えるだけ拾っちゃいます。これはもう人間のサガです。しかし、星印のついた大きなコインは、入るのがとても難しいところや、敵がうじゃうじゃいるところに必ずあります。スターコインを5つ集めると新しい面に進めます。スターコインを手に入れるべく、無茶な挑戦をしては何百人ものマリオが命を落とします。ハイリスク、ハイリターン。これも資本主義社会の鉄則ですね。わかってるんですけどね。
まさに人間社会の縮図、というほどよくできたこういうゲームを教育の場面で使えないか、という研究は、最近になって市民権を得つつあります。デジタルゲーム学会やシミュレーション&ゲーミング学会など、アカデミアにおいても盛んに議論され始めました。先進的な高校では、デジタルゲームを教材として世界史を学ぶ、といった試みをやっているところもあるくらいです。パソコン画面に向かって予習・復習、なんていう光景が、そのうち当たり前になるかも知れません。
そんなこんなで「生きる智恵」の真髄が凝縮された名作ゲーム。きっとまだ、私が気づいていない裏WORLDなんかも、あるに違いありません。今後ともゲーけんに精進してまいります。
ゲーセン。言わずと知れた「ゲーム・センター」の略語です。幼い弟に「げーせんってなに?」と訊かれて、「芸者専門学校」と教えた友人がいました。そんな笑い話がもはや通じないほど、ゲーセンって定着しましたね。
今日はゲーセンならぬゲーけんの話をするというお約束でした。ゲームでじゃんけんでも、芸ネタの引換券でも、ましてや男に惚れた健さんでもありません。ゲーム研究のお話です。
さて、話題の『NEWスーパーマリオブラザーズ』。
順当に冒険が進んでいくと、だいたいの人はWORLD8の最後の城でクッパ大王と対決し、そこで勝てばここまでの道のりのハイライトシーンの映像をバックにクレジットが流れて終了すると思います。このとき、2つあるDS Lite画面の下のほうのコース図を見ると、まだ姿を現していないWORLDが2つあります。ただ各面をクリアするだけでは行けない面があるのです。
マリオシリーズがゲームとして優れていると思う理由の1つは、この「飽きさせない工夫」です。さまざまなレベルのユーザーがそれぞれにゲームを楽しめるよう、WORLDごとに難易度の低い面から始まってだんだんに難しくなる。難易度の高い面をはさむようにワープ土管が配置され、ある程度ゲームの操作性に慣れればだれでもボスと対決できるよう配慮されています。1つの面の中でも適宜ワープ土管があり、攻撃を食らって小ちゃくなったマリオが体力を回復できるようにもなっています。
特に今回の『NEW~』は、スーファミ時代の『スーパーマリオ・ワールド』という作品をベースにしていて、各面にそれぞれ「中間ゴール」があるのが特徴です。1つの面の中で、初めのほうはすいすい行けるのに、中盤から敵が多くなったり場所移動が難しかったり、クレッシェンドな構成になっていますから、中盤でアウト、ということはよくあります。そのたびに一番最初からやり直しはさすがにキツイので、中間ゴールまで行ければ、その先でアウトになっても次は中間ゴールからスタートできるのです。
しかしビギナーへの配慮ばかりではコアなゲーマーに飽きられる、ということで、このクッパ大王を倒しても行けない2つのWORLDが存在します。これら2つのWORLDへの道を拓くには、最も弱い状態のマリオで、隣接するWORLDのボスを倒さねばなりません。
いやぁ、よくできていますね。
この間の「大貧民ゲーム」セミナーでは、ひたすらルールにのっとって勝つための戦略に頭をひねったわけですが、こうしたゲームデザイン(ゲーム設計)にあたっては、勝敗を競う面白さはもちろんですが、もっと根源的な問いに立ち返って組み立てていくことが必要です。その根源的な問いとは、
人はどうしてこのゲームを面白い(楽しい)と感じるのか
ということです。マリオシリーズも、この問いへの答えを追求した成果なのかなと思います。
マリオシリーズがゲームとして優れているもう1つの理由は、さらに次回です。
ニンテンドーDS Lite入手に小躍りしてから早や3週間。ゲーム研究のためと称して初めて購入したDSソフトは、『えいご漬け』。最初にレベル判定を受けたら一番上のSレベルだったので安心してしまい、1週間に1回、しかもTV観ながらという不真面目な態度でトレーニングしていたら、早々とAAAレベルに堕落してしまった。なるほど、日ごろの成果が端的に表れるという意味でも、優れた学習ソフトだ。
『えいご漬け』が進まなかったもう1つの原因は、任天堂が世界に誇る名作ゲームソフトシリーズ『NEWスーパーマリオブラザーズ』。スーファミ時代にやりこんだ記憶を頼りに、夜な夜なポップでキュートなマリオワールドの誘惑に負け、冒険に出かけていたのだ♪
今日はキノコいっぱいの野原を駆け回り、明日は地底に潜んだかと思うと危険がいっぱいの湖を泳いで渡り、いくつもの谷をダッシュ→ジャンプで飛び越え、はたまた雲から雲へと飛び移り、クッパ、コクッパを次々に倒し、つひにクッパ大王までも懲らしめてピーチ姫を奪還した。
しかしここでふと手元のマップに目をやると、まだ開拓されていないワールドが2つ。どうやら裏口を発見しないと行けないワールドがあるらしい。こうなると忘れかけていた本能に火がついてしまう。
ここまででも十分、日常生活のスキマ時間を駆使して励んでいたのだが、ここから先は多少の寝食と引き換えに冒険に励むしかなくなる。帰宅してから就寝まで、入浴以外はマリオをほとんどゲーム機片手で、夜な夜な日付が変わってもクッパと戦い、それでもキッチリ仕事にでかけ、眠そうな気配すら見せずに昼間は淡々と定時まで働く。そしてふたたびベルサッサで帰宅して冒険、という繰り返し。
こういうのが、大人だからできること。
子どもは宿題そっちのけというわけにはいかないし、だいたい夜9時には布団に入っていなければいけません。(経験上。わたしは小中学生のころは、父の書斎におやすみなさいの挨拶に行くと、ちょうど「ニュースセンター9時」が始まる画面でした。)
かわいい子や孫にせがまれたからと言って安易にゲームを買い与えると、こういうビョーキを発症して、自分の生活をコントロールできる大人になれなくなります。デジタルゲームのもつ魅力と魔力は、使い分けないといけません。電車の中でまでDS Liteに励んでいる成人は、そういう意味で、ちゃんと大人になれていない人、という気がします。
・・・と、まぁこれだけではさすがに単なるゲーマー日記なので、引き続き次回、もう少しゲーけんらしいことを書くことにします。
きっちりDS Lite入手直後からブログ更新をさぼっていた、画に描いたようにわかりやすいヒイラギです。あ、でも、別にゲームやってたわけじゃありません。本体しか無かったからね。
しかし人間、興奮しすぎるとどこかが本当に壊れるらしい。翌土曜日は頭痛・肩こりがおさまらずダウン。DS Liteの感動と図ったかのように外出予定のない次の日への期待に燃えすぎて、遠足前夜のごとく、深夜まで目はらんらんと輝き、夢の中でも『ニュー・スーパーマリオ』や『えいご漬け』や『脳を鍛える大人のDSトレーニング』を手にえへら~とご満悦。わくわくどきどき、2,3時間おきにパッチリ目が覚めて、冷蔵庫の麦茶を飲んでは寝なおし、を繰り返した。そのせいである。こういうのを、自業自得、という。
週末の間ずっと頭痛・肩こりは治らないままだった。その割にはミクロ経済学の予習プリントを1種類読み終え、C言語で「大貧民」のゲームプログラムを創ろう、というオタクな公開講座のために調布くんだりまででかけていった勉強熱心さは、われながら偉いと思ふ。
この公開講座は、電気通信大学が学校の宣伝を兼ねて高校生や一般社会人向けに無料で開講しているもの。子どもみたいな顔したイマドキの高校生諸君の間に、地元のおじさんおばさんらしき人の顔もチラホラ。手話通訳者2名を引き連れて参加している熱心な障害者のおっちゃんも1人。なかなか面白い顔ぶれである。
冒頭1時間は電通大の教授みずからゲーム研究の歴史と概要をやさしく講義、続く1時間で「大貧民」のルール説明とゲームプログラミングの解説・・・と思いきや、ここで教授から重大発言。
「今回はC言語の説明はしません。実際のプログラミングの作業はTA(Teaching Assistant)の人たちにやってもらいます。皆さんは、来週のこの時間までの1週間で彼らにどんなプログラミングをしてほしいか、グループごとに話し合ってください」
う~ん、なるほど。1回3時間のセミナーが今週と来週の2回、トータルたった6時間で「大貧民」プログラムを作って対戦してみよう!というフレコミに期待して参加したが、「プログラミングの知識は不要です」の意味が今わかった。そうだよなー、6時間でC書けちゃうわけがないよなー。
そんな訳で、期待した学習効果は得られない講座だということが判明したが、「大貧民」のルールをちゃんと知ることができたのは収穫だった。私がやった頃は(地域では?)「大富豪」と呼ばれていたこのゲーム、おぼろげにやった記憶はあるが、3枚以上数字が続く札を「階段」と呼ぶことや、「階段」は同じマークの札でないいけないこと、「革命」という手があること、スペードの3はジョーカーの次に出せること、8を出すと流れを切って場を流せること、それにそもそも、ダイヤの3が手札にある人からゲームを始めることなんて、今回初めて知ったのだ。
セミナーの最後の1時間では、10人ずつくらいのグループに分かれ、それぞれに1人ずつTAがついてプログラミングの戦略会議となった。戦略以前の人も多かったので、まずは実際にトランプで「大貧民」をやってみる。難しい。なるほど、これって本当に戦略ゲームなのだな、と実感した。相手の手札や思考を読みながら打つ手を考える。高度だ。
ゲーム研究の世界では、Serious Gamesとかシミュレーション教育とか言って、MMORPG(Massive Multiplayer Online Role Playing Game)の教育目的利用が注目されているが、「大貧民」はまさにこういう効果を対面式ゲームで実現しているんじゃないだろーか・・・
なーんてマジメな感想をもったぐらい、収穫はあった。
その昔、頭の中では時々『うすのろのばか』と混同していたぐらいだから、私の知っている「大富豪」はそれほどにシンプルだったはずなのだが・・・知らぬ間に、トランプゲームさえも進化している。