6月のこと。ヨッさんから電話がありました。「去年モリアオガエルが卵を産んだところに、今年も卵の塊りがあるんやけど。ちょうどオタマジャクシが孵って落ちよるところや。見に行ってないか」というお勧め話です。
翌日、ヨッさんの軽トラの助手席に乗せていただいて、山の中に入って行きました。そこは鬱蒼とした林間です。梅雨のことですから、いかにもじめっとした空気が肌を包みました。
行ってみると、卵塊は枝に付いていました。下には水たまりがありました。そして、観察用の足場にということで木が渡してありました。ほんとうは水が流れる山道といった感じだったのだそうですが、これではかわいそうだというわけで、ヨッさんが木で堰をし、石を積んで水溜りを確保されたということでした。それが昨日の話で、ヨッさんにとっては翌日の今日が再訪日になります。
話していると、いつもながら、生きものにこころを寄せていらっしゃるという感じが伝わってきました。
「オタマジャクシが下に落ちても、水が少なかったら生きていけへん。それで、水が溜まるように堰をしたんや」
「それにしても,どうやって下に水があることがわかるんかなあ」
「木をこつこつ、こつこつ登って、それでちゃんと下に水があることを心得ているんや。えらい、えらい。人間の知恵をずっと超えているのとちがうかなあ」
「昨日、この木の根元に親がおったんやけどなあ」
こんなふうです。卵塊は全部で3つ。高いもので3m以上あるかと思われました。親ガエルは見当たりませんでした。
水溜りの中には、木から落ちて育ち始めたオタマジャクシがたくさんいました。わんさといました。餌が限られた中で生きていくのですから、大多数が淘汰されていくでしょう。それが自然の摂理です。非情であっても、当たり前の成り行きです。
ここには自然が残っている、来年もこの風景を見ることができればなあと感じながら、現場をあとにしました。