自然となかよしおじさんの “ごった煮記”

風を聴き 水に触れ 土を匂う

19年目の訂正(続)

2013-04-12 | 随想

想像するに,頂点に立っていた人は権力を振りかざすにはぴったりの資質だったかもしれませんが,教育という場にはもっとも縁遠くあってほしい資質の持ち主であったようです。ふつうの市民感覚からは大きく乖離(かいり)しています。

教育はいのちの育みにどこまでも責任をもって役割を果たさなくてはなりません。そのために,学びの環境としては安心・安全が完全に保障されていなくてはならないのです。こんな当たり前を踏みにじり,担任が子のこころの居場所を奪うなんてとんでもないことです。本筋をこころに刻んで一層創造的な営みが行えるよう,まず教育委員会が率先して智恵を絞るべきなのです。そうした方向でしごとをしているなら,誠実さ・良識が滲み出してくるはず。いのちに対しては,すこぶる真摯な気持ちを保ち続けなくてはなりません。

事が起こった直後はまったく逆の強弁。こんなトンデモ状態が各地で発生しては消え,消えては発生します。きっぱりと遮断されることはありません。それゆえ,近頃になって教育委員会不要論が出てきたりするのでしょう。

それにしても体質とは恐ろしいものです。19年経っても,話し方や表情に見事に出てきます。先人が遺した格言が浮かびます。「実るほどに垂れる稲穂かな」。

おしまいに,この事案をとおして思うことを一つ。上記の例で見えてきたようなおかしな判断・発言をする人が放任・放置されている教育行政のかたちはおかしいし,これに異議を唱える人の姿が見えてこないことがふしぎです。わたしは,こんな資質の持ち主が公的組織のトップにあり続けられる制度そのものに大きな違和感を覚えます。

T市の教育行政では,19年という歳月の重みをこころから受けとめつつしごとが進められているのでしょうか。全うな思いがたいせつにされるよう,世の中がもっと熟してほしいと切に願っています。

 (注)写真と本文とは関係ありません。