書かなくてもいいような雑談をしましょう。
話し方や表情の,第一印象って怖いなあと思います。地位に関係なく謙虚であれる人,地位を鼻にかけて傲慢である人,孤高の人であれる人,人が集まって来ないと気が落ち着かない人,人はみんなそれそれだなと割り切って協調できる人,自分の思い通りに人が動かなくては我慢がならない人,……,ほんとうにいろいろ。それが第一印象に出てきます。
つい先頃,体罰と自殺との関係で以下に述べる話題が目にとまりました。この事案が発生したことがこころの隅に残っていたので,わたしは関心をもって受けとめました。事案がまだ未解決だったことがわかったのです。今回感じたのは,この件に関わった教育関係者の良識のレベルです。さらにいえば,教育機関の頂点に立つ(立った)人の資質・適性のことです。以下,言いすぎを承知の上で書いていこうと思います。
事の経過を簡単に書くと,こうです。
19年前,T市の小学校6年児童が担任から体罰を受けたことを苦にして自宅裏山で自殺。その後,体罰と自殺との因果関係は裁判で認められたものの,市教委は「学校管理外での体事故死」と処理,その旨を国に報告した。しかし,体罰・自殺の関係についての最近の動きから,あるテレビ局がこの事例を問題視。当時の教育長(現市長)及び現教育長(当時の部下)に直々に取材した。その様子が報道されたが,二人の憮然とした表情と人ごとのようなことば遣いが第一印象として残る後味のよくない内容であった。そしてこのままでは収まるまいと予感できた。番組をご覧になった多くの方がわたしと同じ気持ちになられた筈。案の定,この程現教育長は事件を体罰による自殺と密かに認め,国に修正の報告をしていた。そして,この程この経過が報道された。
一回目のテレビ報道があって以来,内部調整がなされたのでしょう。結果,現教育長の口から誠に拙い言い訳が出てきたのです。それは次のものです。
「体罰やいじめによる子どもの自殺が大きな社会問題となり、正面から向き合うべきだと考えた」
裏を読むと,大きな社会問題になっていなかったら,どうだったのか,ということになります。社会の動きを見届けながら,いのちについての解釈を下すとは! 学校内での出来事か,学校外での出来事か,そんなことは体罰との因果関係にはちっとも関係ないのではないでしょうか。そう,わたしのような素人目には見えます。
当時の教育長の“鶴のひと声”が自ずと浮かびます。「体罰と自殺は直接関係なかった!」と断じれば,ほとんどの人はそれ以上何も言えなかったのでしょう。上司の言いなり,です。
これがほんとうなら悲しい話です。わたしにはそんな時代の流れがあった気がしています。
(つづく)
(注)写真と本文とは関係ありません。