古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

同い年の人が、この文を書いてるんだ。

2021年03月23日 16時46分36秒 | 古希からの田舎暮らし
 いろんな〈外仕事〉をしている「ごほうび」で有馬温泉に一泊しました。

 蟹のコース料理で、城崎に行かなくてもしっかりいただきました。
 夜中に本を読んでいて、この文章に「つきあたりました」。引用します。


 自決にせよ、栄養失調にせよ、ソ連兵や土匪に殺されたにせよ、あの「満州」で同胞を見殺しにせざるを得なかった日本人の背負い切れない悔恨はまだうずいています。
 民草(草のようにそよいでいる庶民のこと)にとって祖国とは一体なんでしょうか。
 戦時中の祖国や満州の指導者は、私の心の中ではとうの昔に消し去りました。
 生涯、国家に信を置くことはできません。

 
 この文は『じいちゃんは引き揚げ少年だった』坂本龍彦・著(岩波ジュニア・新書1999年発行)に寄せられた読者:常木彰さんからの手紙です。彼は国民学校2年生(小学校2年生)のときに満州で「日本の敗戦 /家族で逃げまどう/襲撃にあう/乳飲み子の弟の死/飢え」など筆舌に尽くしがたい体験をしました。その体験を著者に手紙で告げて、上の引用文でしめているのです。
 昭和20年8月15日には、ぼくも国民学校2年生でした。同い年の子どもが「生涯にわたってこんな思いを秘めて生きる」体験をした。 …… 夜中にこの文につきあたって、本を置いてしばらくじっとしていました。
 83年の人生で、映画や映像や本で見たり、聞いたり、読んだりしたあの戦争の「悲惨」が、プツプツと心の沼から吹き上がってきます。
 それを現実に体験する場面に置かれてしまった子どもに、ことばがありません。
コメント
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