古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

鳥取県の『若桜』(わかさ)の町を歩いてきました。

2013年06月22日 04時23分09秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 6月は毎日ブログを書いていましたが、一泊の旅をして一日お休みしました。写真は重要文化財の『不動院岩屋堂』です。岩を穿(うが)ってお堂が建ててあり、見上げると圧倒されます。
                  
 日本三大投入堂というのがあるそうです。鳥取県東伯郡三徳山(国宝)・大分県宇佐郡龍岩寺・鳥取県八頭郡若桜町のこの『岩屋堂』です。雨の中をしばし立ち尽くして見上げました。
 日頃うちの村の龍神さまにお願いするときは、不動明王の真言を唱えているので、ここはだれもいないし、渓流の大きな音に負けないよう「のうまくさんまんだ……」を大声で唱えました。声が岩屋堂にすーっと吸い込まれていきました。
 そばに何軒か民家があります。「ここの人は毎日お堂を見上げて手を合わせる。不動明王の真言を唱える。渓流と森の『気』に包み込まれていいだろうな」とうらやましい気持ちでした。
 天の川のような蛍を見ようと旅に出たのですが、このお堂と出会ってよかった。
 戸倉峠を通って中国山地を越える国道29号線は、因幡藩の人にとっては「大阪」へ通じる道でした。その県境にある山奥の「若桜」という宿場町に行ったことがありませんでした。
「古くから栄えた町だし、この町出身の知人もいるし(もう故人になった人もいるけど)、訪ねてみよう」
 町はさびれていましたが、観光案内所があり、町並みが整備してありました。そこにこんな掲示があり、考えてしまいました。

  貧しく 維持出来ない 土蔵群を 豊かな自治労は 食いものにするな

 わかる。とってもよくわかる。
 あちこちの田舎町が、レトロや歴史を「売り」にして整備しようとする気持ちもわかります。でもそこの住人は、崩れる蔵をどうしようもなく外壁だけ維持させられる。過疎で人が減り、高齢化し、商店街はゴーストタウンになる。町役場は、観光振興くらいしか旗振りの材料がない。住人の尻を叩く。
 ○○町は成功している! △△町につづけ! 
「死にかけ」の町に鞭を入れる。「出るのはため息ばかりなり」ってどこかで聞いたセリフです。あーあ。  

 
 
 
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