古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

『神の国に殉ず』を読みはじめました。

2024年05月06日 15時10分15秒 | 古希からの田舎暮らし
 去年の冬読んだ気がしますが、「いつ読んだか」を自分のブログでさがしてみましたが、わかりません。とにかく二カ月ほどかけて読んだ気がします。本は阿部牧郎の『神の国に殉ず』(小説 東条英機と米内光正)ー平成22年刊ー です。上下二巻で928ページある大作です。
 また東条図書館で借りて、読みかえしています。一回目に読んで引用しているところは覚えています。
〇 海軍通信の暗号はアメリカに見破られて、解読されていました。ミッドウエイ海戦でやられたのも、山本五十六が現地視察をしようとして撃墜されたのも、暗号を解読され、ねらわれました。首相の東条英機が「海軍の暗号がもれてるんじゃないか」といい、秘書が問い合わせ、海軍が否定した。とこの小説には書いてあります。小説だから自由に書けます。案外、本当かもしれません。
〇 昭和20年、日本と戦争中のアメリカの大統領=ルーズベルトが死去しました。ヒトラーは「ざまーみろ!」ののしりましたが、日本の鈴木貫太郎首相は「死者への弔意」を伝える談話が報道されました。そのことにふれて海外の評価が書かれていました。 

 ほかにも引用したところがある気がしますが、二度目に読んでみると「前とちがった箇所」が心に残ります。
 作家はよほど歴史を調べ、登場人物の心にもぐり込み、生きた人間として読者に見せてくれる。そんな箇所がたくさん出てきます。大部な小説ですから、前はチャレンジするつもりで読みすすめました。このたびは少しずつ、当時を想像しながら、読んでいます。引用するとしたら、政治家や軍人が「生きた人間として立ち上がる」感じのところです。〈大日本帝国〉が昭和12年にはじめた日中戦争(戦争と言わずに「支那事変」と呼びました)。その当時の世相と政治家を活写しているところを引用します。


 群衆のどよめきが遠くからきこえてくるような気がする。野球場や両国国技館にいるように、群衆が陽気にさわぎ立てていた。
 それは世論のどよめきだった。陽光にうす赤く染まって諸官邸や陸軍省、海軍省へ流れこみ、閣僚や幕僚たちの心を熱く揺さぶる。戦争をやれ。つづけろ。蒋介石を屈服させろ。華北を第二の満州国にしろ。新聞の立てるそうした雑音が、日本の空気を赤く染める。    
 新聞はつねに強硬意見を吐いて国民を煽り立てる。そのほうが読者受けして新聞が売れるからだ。国民を昂(たかぶ)らせ、売り上げ増をはかっている。
 軍人はそれを読んで強硬意見を吐いて国民を煽り立てる。もともと軍人は勇者を気どりたがる。敵に向かって勇ましく怒号を発することで彼らは国民のご機嫌をとる。思慮のたりない若い将校にも支持される。そしてこの種の軍人は強硬姿勢こそ軍の王道と思いこむ。
(いま閣議をしている場面です。近衛文麿首相の発言)
 「 ーー 要するに私はもう蒋介石を相手にする必要はないと思うのだ。首都(南京を首都にしていた)が陥ちて(中国の奥地に逃げ込み)蒋政権は田舎の一政権にすぎなくなった。新しい和平条件を呑もうと吞むまいともう問題ではない。新しい政権をつくり育成して、新しい日支関係を確立すべきです。私はその方針でゆく」
 近衛首相はようやく結論を出した。
 戦争の長期化に近衛もなやんでいたことはたしかである。だが、彼も世論の反発を恐れて、和平の申し入れはできなかった。かといって蒋介石を打倒するため全面戦争に踏みきる度胸もない。


※ 当時は新聞が世論をあおって、戦争気分をたかぶらせました。新聞にあおられて、「戦争だ。支那をやっつけろ」が多くの国民が叫んでいました。新聞の責任は大きい。そして、いまや新聞は落ち目ですね。新聞をとっていない家がどんどん増えています。
 
コメント
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