hiroshi hara: saxophoniste

日々の思考の断片

メソード問題

2007-06-27 23:14:39 | sax関係
今日は都内の学校へレッスンに伺った。
久しぶりの車移動で、色々考えごとしながら走っていた。

そこで、先日のサックスのメソードの話題の続き。

「サックス界にはメソードが確立してない」と書いたが、メソード自体はたくさん存在する。
それらのエクササイズを実行したり、奏法を考察する時間が無いのだと私は考えている。

日本では、学校の吹奏楽部からサックスを始める人が大半だと思う。
吹奏楽や楽器を吹くことを楽しむというだけの目的なら、それだけで十分だが、中には音大等に進学して専門的に勉強したいと思うようになる人がいる。
そして、そこからレッスンに通い始める人もいるわけだが、早い人でも高校1年生くらいだろうか。
そこからエチュードや独奏曲を始めていくわけだが、入試までには否応無く慌しくなり、課題を詰め込むだけに終始してしまう。
音大入試の課題曲も受験勉強の一環になり、間違えずに吹ければ、もしくは音大に合格してしまえば、その課題曲は克服できたと錯覚してしまうのかもしれない。

本当はもっと時間をかけて、たくさんのエチュードや楽曲にふれて、音楽性、技術、音楽や楽器に対する知識を深めていきたいのだが、そんな悠長なことを言っていられないのが現実だ。

かく言う私も当然その一人だったわけで、高校3年生の春、初めてレッスンを受けた際、師匠から「これだけ吹けてればアマチュアでやっていくには十分だと思うんだけど。」と突き放された一言を言われ、大変なショックを受けたことを思い出す。

今となっては、私も教える立場になり、そのときの師匠の心境がなんとなく察することができるようになった。
そして私も生徒に突き放す一言を言っていないか心配になるときがある。

話を戻し、音大入試の為に吹奏楽部を辞めるという人もいるが、そういう行動にも賛成しかねる。
部活動は吹奏楽を学び、楽しむことはもちろん、協調性、社会性、人間性を学ぶ素晴らしい環境であるように思う。

音大に入学したあとにでも、ゆっくりひも解くゆとりがあればよいが、なかなか難しい問題もあるようだ。

続きはまた後日。

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