本当に久しぶりに、悪夢にうなされて目が覚める。
反省と不安に苛まれながら、午前中はお礼状を書き、掃除をし、午後は演奏会を聴きに出かけた。
地元にも関わらず初めて伺った会場だった。
キリスト教禁教令時代に語り継がれた旋律を用いて、鈴木純明さんがこの演奏会のために書き下ろした「忘れられた歌」では、ルネサンスと現代、東洋と西洋が融合したような、とても興味深く、また遠い、もしくは見たことのない地へ思いを馳せるような感覚を抱く作品だった。
終演まであっという間で、由緒を感じさせる、その場の雰囲気に良く合った選曲と、奏者それぞれの音の魅力がキラキラと光って、優雅なひと時だった。
出演者に挨拶して、純明さんご夫妻と周辺のお寺を巡り、お茶して帰宅。
夜は鶴岡八幡宮へ出かけ、昨日の演奏会のお礼参り。
思えば昨日の演奏会では性格の違う楽器とのアンサンブルに大変苦労したが、それぞれの楽器のできることから最大公約数を引き出そうと努力していた。
言葉には出さなかったが、それは奏者の技術だけではなく、人間性に支えられていたように思う。
反省と不安に苛まれながら、午前中はお礼状を書き、掃除をし、午後は演奏会を聴きに出かけた。
地元にも関わらず初めて伺った会場だった。
キリスト教禁教令時代に語り継がれた旋律を用いて、鈴木純明さんがこの演奏会のために書き下ろした「忘れられた歌」では、ルネサンスと現代、東洋と西洋が融合したような、とても興味深く、また遠い、もしくは見たことのない地へ思いを馳せるような感覚を抱く作品だった。
終演まであっという間で、由緒を感じさせる、その場の雰囲気に良く合った選曲と、奏者それぞれの音の魅力がキラキラと光って、優雅なひと時だった。
出演者に挨拶して、純明さんご夫妻と周辺のお寺を巡り、お茶して帰宅。
夜は鶴岡八幡宮へ出かけ、昨日の演奏会のお礼参り。
思えば昨日の演奏会では性格の違う楽器とのアンサンブルに大変苦労したが、それぞれの楽器のできることから最大公約数を引き出そうと努力していた。
言葉には出さなかったが、それは奏者の技術だけではなく、人間性に支えられていたように思う。