今日は久しぶりに尚美へ。
真砂市場のお店がさらに配置換えされていて驚いてしまった。
明日の演奏会でピアノを弾いてくださる亀澤先生とお昼ご飯。
私はトンカツとピーマン肉詰めのセットをいただく。
お昼をいただいた後は合わせ。
体験入学の受講生向けのミニコンサートなのだが、私にとってはこのような機会だからこそ、本気以上で取り組まなければ出来ない作品に挑む。
まずはフォーレの歌曲から。
吹きながら、ついつい歌詩を読んでしまう。
最後の詩、
"O Lydia, rends-moi la vie, que je puisse mourir toujours." は直訳すると、
「おおリディア、私は永遠に死ぬことができるのだから、命を返して。」
となり、これだと情緒もへったくれもないし、もし日本語で歌った時には旋律に詩が全然乗らない。
そこで先日いただいた対訳を参照すると、
「おおリディア、私の生命を、(奪われる)
いつに死んでもよい生命を返してください。」
とのこと。
言葉の情緒、そして透明な音色で明日は演奏したい。
真砂市場のお店がさらに配置換えされていて驚いてしまった。
明日の演奏会でピアノを弾いてくださる亀澤先生とお昼ご飯。
私はトンカツとピーマン肉詰めのセットをいただく。
お昼をいただいた後は合わせ。
体験入学の受講生向けのミニコンサートなのだが、私にとってはこのような機会だからこそ、本気以上で取り組まなければ出来ない作品に挑む。
まずはフォーレの歌曲から。
吹きながら、ついつい歌詩を読んでしまう。
最後の詩、
"O Lydia, rends-moi la vie, que je puisse mourir toujours." は直訳すると、
「おおリディア、私は永遠に死ぬことができるのだから、命を返して。」
となり、これだと情緒もへったくれもないし、もし日本語で歌った時には旋律に詩が全然乗らない。
そこで先日いただいた対訳を参照すると、
「おおリディア、私の生命を、(奪われる)
いつに死んでもよい生命を返してください。」
とのこと。
言葉の情緒、そして透明な音色で明日は演奏したい。