最近は時間がなく、映画をあまり観られなくなってしまったが、飛行機に乗った際には有り余る時間の中で映画を観るのが楽しみとなっている。
写真は先日、台湾に向かう機内で観た「謝罪の王様」。
荒川良々さんは本当に面白い。
映画には単に面白いもの、感動するストーリー等を楽しむのも良いが、何かしらのメッセージが込められて、それを享受するのもまた楽しいひと時となる。
昨年秋、フランスで思いがけず観ることになった、三隅研次監督の「斬る」を観たとき、日本人として、「察する心」というものをこれからもっと大事にしなければならないと感じた。
序盤、主人公の信吾が父に対し、家を出て旅に出たいと頼む場面でこの様なやり取りがあった。
父「なぜだ?」
信吾「なんとなく...」
父「この家が不服か?」
信吾「いいえ、決して」
父「何をしに?」
信吾「わかりません...」
これだけ見ると、信吾がただのわがままを言っているようにしか見えないが、しかし父は目を細め、ただならぬことと察し、殿様に掛け合い、そして殿様までも納得して、結局そこから信吾は三年の旅に出ることになる。
それだけではなく、信吾が千葉道場で若師範との太刀合い、信吾の構えを見ただけで、「お手前の突きをかわす工夫は不可能と存ずる」というセリフに、余白の濃さを感じずにはいられなかった。
昔から日本人はこの「察する」ことに長けていて、それは国際社会に向けても胸を張れることだ。
そして決して多くはないが、外国人でもその様な感性を持ち合わせている素敵な人もいる。
もちろん主張することも大事だが、主張される前に察することができるようになりたいものだ。
写真は先日、台湾に向かう機内で観た「謝罪の王様」。
荒川良々さんは本当に面白い。
映画には単に面白いもの、感動するストーリー等を楽しむのも良いが、何かしらのメッセージが込められて、それを享受するのもまた楽しいひと時となる。
昨年秋、フランスで思いがけず観ることになった、三隅研次監督の「斬る」を観たとき、日本人として、「察する心」というものをこれからもっと大事にしなければならないと感じた。
序盤、主人公の信吾が父に対し、家を出て旅に出たいと頼む場面でこの様なやり取りがあった。
父「なぜだ?」
信吾「なんとなく...」
父「この家が不服か?」
信吾「いいえ、決して」
父「何をしに?」
信吾「わかりません...」
これだけ見ると、信吾がただのわがままを言っているようにしか見えないが、しかし父は目を細め、ただならぬことと察し、殿様に掛け合い、そして殿様までも納得して、結局そこから信吾は三年の旅に出ることになる。
それだけではなく、信吾が千葉道場で若師範との太刀合い、信吾の構えを見ただけで、「お手前の突きをかわす工夫は不可能と存ずる」というセリフに、余白の濃さを感じずにはいられなかった。
昔から日本人はこの「察する」ことに長けていて、それは国際社会に向けても胸を張れることだ。
そして決して多くはないが、外国人でもその様な感性を持ち合わせている素敵な人もいる。
もちろん主張することも大事だが、主張される前に察することができるようになりたいものだ。