いつもの散歩道に豆朝顔の花
芯の先のほのかな紅色がワンポイント、と書かれていました。
こんな花に出会ったとき、私は一人でも充分な幸せの中。
同じ草叢で
目線を移したら美しい蛾が休んでいました。
これもまた幸せな出会いの一瞬。
一人でも味わえる幸せ。
一人だからこそ味わえる幸せ。
そんな幸せの形をわたくし、結構愛しています。
でも、誰かといるときの幸せ、
みんなでいるからこそ味わえる幸せもあると思います。
川村元気の「億男」の中にこんな一節がありました。
家族を失いかけている主人公の言葉です。
〝
僕たちを幸せたらしめているものは何か。
僕たちの生を繋ぎ止め、明日へと生かすものは何か。
それは柔らかいバスタオル、風に揺れるカーテン
ベランダではためく洗濯物、
並んだ歯ブラシ,焼きたてのパン、甘いリンゴ、淹れたての珈琲。
一輪のチューリップ、笑顔の家族写真、心地の良い音楽。
そのどれもが、お金で買えるのかもしれない。
けれども、それとともにある幸せは
誰かと一緒でなければ手に入れることはできない。
ひとりでは難しい。
誰かと共有していなければ。
その幸せな、ひと時を。
„
・・・確かに、と思います。
たいていの人にはそのどちらもが与えられています。
ただ、そのことを意識していなければそこに「幸せ」は存在できないのです。
「幸せ」はそれを認める人にだけ「有る」のだと思います。
ひとりぽっちだからこその幸せ。
誰かといるからこその幸せ。
「幸せ」の形は様々です。
だから、
もし今、
どちらかを手にしていないとしても
「ない」ものを追い求めて嘆くのではなく
「有る」ものを大切に見つめればよいだけのこと、のように思います。
空はそろそろ秋の気配が満ちています。
夏には夏の幸せが、
秋にも秋の幸せが
確かに、確かに「在る」のです。