幸せになろうね 改め しあわせだね

日々の生活の中のほんの小さな出来事をどう捉えるかで
私達はすぐにも幸せになれるのです。

「信じる」という強さをとりもどしたい

2019年09月24日 17時51分35秒 | ひとりごと

    2019・9・24 8;23
心配していた彼岸花さんたち。
やっと、この状態になりました。

やっぱり、少し時期がずれたんですね。
8月、9月が暑すぎたのでしょうか。



「信じる」という
「愛の強さ」を取り戻したい!!

そんな言葉をふるい日記に見つけました。

夫のことも
娘のことも
友人たちのことも
彼ら自身の人生のプログラムをちゃんと導かれているのだと
信じたいと思います。


案じるのではなく「信じる」

「信じる」ことこそ「強い愛」なのでしょう。

難しい事です。

けれど私は今
「信じる」という「愛の強さ」を取り戻したいのです。


過ぎてしまえばみんな風

2019年09月24日 17時23分28秒 | ひとりごと
 
           2019・9・24 8;27

会いたくて会いたくて
ずっと一緒にいたくて・・・・・・

そんな恋心で結ばれたはずなのに
いつの間にか
いることが当たり前になってしまい
一番大切にしなくてはいけないのに
一番おろそかにしてしまっている。


そのうち
自分勝手、裏切り、無関心などの
傷つけられる行為を重ねられ
悲しみはやがて憎しみへと変わり
「夫に死んでほしいと願う妻たち」はどんどん増えていくらしい。



離婚できる環境や勇気を持てる者はまだいい。

子供のこと、親のこと、そして何よりも経済的なことを考えれば
「離婚」すらできない。
だから「夫が死んでくれる」のが一番いいらしい。


「夫に死んでほしい妻たち」小林美希 著

には、そんな妻たちの心の声が収録されている。




まさに私もそんな妻の一人だった。

50代は紛れもなく「家庭内離婚」の時代。

同居し、経済をもたらしてくれる存在、として距離を置いた。

「あなたとの距離 縮められなくて 氷雨」

そんな句を詠んだ頃がある。



けれど
いつしか

「過ぎてしまえばみんな風」
という心境になり
「喜怒哀楽、悲喜こもごも、この世でしか味わえない感情を
 この人によって味わわされた」
と、気づいたとき
切ない恋心も、愛される歓びも、
裏切られた苦しみも、それによる憎しみも
全て、全て、味わわせてもらったんだなあ、と思うようになれた。


かといって、まだまだ
全てを達観し、赦す、というような寛大さにまでは至らない。

まだまだ未熟な私がここにいる。


それでも
その未熟な私と背中合わせに「感謝しできる私」も育ってきている。



過ぎてしまえばみんな風。

この世の全てをありがとう、


心から穏やかに言えるようになったとき、あちらへの扉を開けられるのかもしれない。




「愛している」が言えないならばせめて「ありがとう」を

2019年09月24日 16時44分18秒 | ひとりごと
伴侶
子供

友人

身近な人に
大切な人に

今日
ちゃんと
愛しているといいましたか?

一時間後に死んでも悔いのない言葉をかけましたか?

   2019・9・24  5;51



「愛している」が使いなれないならば
照れくさくて言えないならば
その思いを込めて、せめて
「ありがとう」と言いましょう。


人は
きっと
このふたつの光透波があれば生きていけるのだと思います。


さあ、悔いを残さないように
今日の「愛してる」と
今日の「ありがとう」を
大切な人に贈っておきましょう。


出来ればちゃんと目を見つめて
抱きしめて・・・・・・

ありがとう

愛してる

 同 5;59