例のごとく
実家へ手伝いに帰ってきた。
なかなかまとめて時間が作れず
今回はわずか二泊三日の滞在だった。
そんな短い時間の中で
母が私にしてほしいと望むこと、
私が父や母や美代子さん(義母)にしてあげたいと思うこと
山ほどあって忙しいことこの上ない。
しかもその内容のほとんどが
お天気に恵まれないと困ることばかりだった。
北陸福井のこの時期は時雨れることが多くてなかなか晴れてくれない。
でも、おかげさまで、なか日に素晴らしい晴天に恵まれ(前日の新聞の予報では雨だったのですが)
望まれること、望んだことのすべてをクリアーすることができた。
有難いことである。
が!!
そんな中でひとつだけ
超アンラッキーなことが起きた。
車の左前方下部を
叔母の家の塀でこすってしまったのだ。
バンパー全体が取り替えとなるだろうな、っていう感じで・・・
ま、幸い
叔母の家の塀は丈夫な石組みなので何ともなかっし
車も自損事故の保険で直せるので
さしあたって腹は痛まない。
人身事故でなくて良かったわ~~~~~
と胸をなでおろしたのだが、
が、しかし、やっぱり、
「なんでぇ?!」
と考えずにはいられない。
この事故さえなければ
今回、本当に思うようにいろいろなことに恵まれ
母も美代子さんも喜ばせ
帰った甲斐万々だったのに・・・
これがあるばかりに
何だか気分がおもーくペシャンとなるじゃん!!
と、その夜、少し落ち込んだ。
で、考えた。
なぜ、神様は私にその事故を与えてくださったのか。
なぜ、ラッキーなまま帰ることができなかったのか。
そういえば
私の車と夫の車
どっちで帰ろうかな、と考えた折
「こすると嫌だな、パパので帰ろうっと」
と判断したではないか。
実家は昔からの村の中にある。
どの道も細くて
安気に運転ができない。
私の車の方が新しいし車幅もわずかだが広い。
もしもってこともあるし、みたいな感じで夫の車で帰ることにしたのだった。
あーん![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_naki.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_naki.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_naki.gif)
・・・ごめんね、クオリス
そんな理由であなたを選んでしまって。
これがもし
「パパの車の方が運転しやすいし
荷物もたくさん乗るし
狭い道も私の車より走りやすいから」
と考えて選んだなら
この事故を引き寄せはしなかったかもしれない。
「こするといやだから」と
「走りやすいから」は
私の中では同じ意味だったのだが
実際の言葉としてのエネルギーも働きも全く違ってしまう。
前者は「こする」という事実を引き寄せ
後者は「走りやすい=無事に済む」という結果になるのだ。
たとえ、ほんの一瞬のことであっても
否定的な言葉ではなく
良い方の言葉で考えなければならないということを痛感する。
ごめん、ごめんね、クオリス
今度から気を付けるね。
ところでなぜ、私が塀で車をこすったか。
叔母の家の前も車が一台しか通れないような狭い道。
村の中の昔からの道なのだ。
でも、一方通行ではない。
叔母を玄関前のその道でおろした時
「ちょっと待っててね」
と、彼女が庭先に回った。
明らかに私に何かを持たせようとする気配。
おばは、かなりの年で
しかも病後のリハビリ中である。
私は叔母を気遣って
一緒に庭先に回ることにした。
その一瞬、
「車、ここに止めておくとまずいかな?
前から車が来たら、迷惑よね」
と、思ったのだが
母が乗っていたこともあって
「ま、ほんのちょっとのことだし
こんな道、だれもこないよね」
と、自分に言い訳し、そのまま、エンジンだけ切って車を離れてしまったのだ。
ところが、庭先に回るや否やクラクションがひとつ鳴った。
「あ、まずい!!」
と、すぐに車の方に戻ったのだが
車にたどり着く前に
クラクションは再び鳴らされた。
「ごめんなさーい」
と頭を下げながら車に飛び乗り
あわててバックし、
叔母の前の家の空き地に左に切って入ろうとしてしまったのだ。
その時
叔母の家の塀はまだ車の横にあった。
あと50センチバックしていれば、
その塀も切れてなくなっていたのだが
あわてていたために塀のあるなしを確かめずに
まだ塀のあるところでハンドルを切ってしまったのだ。
ここでも
反省しなければならない。
私は車を降りる前にちゃんと
「まずいよ」
「車、来るよ」
という、小さなささやきを聞いているのだ。
にもかかわらず、
「ちょっとの間だから大丈夫だよ」
と、その声を否定し、無視して
そのまま車を離れてしまった。
一瞬のささやき
一瞬の直観
それらに従うことが大事だと常々いろんな本で読んで知っているはずなのに
それができなかったのだ。
もし、あの直観にしたがって
冷静に車をバックし
その空き地に止めてから車を離れていれば
この事故は起きなかったに違いない。
つまりは、小さな内からのささやきを無視した結果なのだ。
みなさま、
一瞬の内なる声
くれぐれも素直にお従いあそばせナ![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_ase2.gif)
さらに、さらにもうひとつ。
大きく反省しなければならないことがある。
あの時
もしかしたら私は有頂天になっていたのかもしれない。
前日もこの日も
イマジネーションした通りに事が運び
思ったことが全部できていることに気をよくし
「ほら!!できたわ。
やっぱり、ね。
私って、すごいじゃん!!」
みたいな、奢りを持ってはいなかったか。
口では
「ほんと、有難いよね。
特に親孝行に関しては
神様はよく願いを聞いて下さる。
おかげさまで、全部できて
母も喜んでくれています。
ありがとうございます」
なんて言いながら
心のどこかで
「すごいじゃん!!
思った通りになる」
と、奢ってしまっていたに違いないのだ。
「物事がうまくいっている時こそ
陰の力への感謝を忘れず
謙虚になりなさい」
と、あれほど言われているのに。
「うまくいくのはお前の力ではありませんよ。
奢り高ぶらないように」
と、お叱りを受けたように思うのだ。
果たしてどれが
直接の要因かはわからない。
けれど、このいずれもが
常に心しなければならない大切な事であるのは間違いないだろう。
・・・・・ちなみに
この話を夫にしたら
曰く
「単に運転が下手なだけでしょう?!」
だとさ
実家へ手伝いに帰ってきた。
なかなかまとめて時間が作れず
今回はわずか二泊三日の滞在だった。
そんな短い時間の中で
母が私にしてほしいと望むこと、
私が父や母や美代子さん(義母)にしてあげたいと思うこと
山ほどあって忙しいことこの上ない。
しかもその内容のほとんどが
お天気に恵まれないと困ることばかりだった。
北陸福井のこの時期は時雨れることが多くてなかなか晴れてくれない。
でも、おかげさまで、なか日に素晴らしい晴天に恵まれ(前日の新聞の予報では雨だったのですが)
望まれること、望んだことのすべてをクリアーすることができた。
有難いことである。
が!!
そんな中でひとつだけ
超アンラッキーなことが起きた。
車の左前方下部を
叔母の家の塀でこすってしまったのだ。
バンパー全体が取り替えとなるだろうな、っていう感じで・・・
ま、幸い
叔母の家の塀は丈夫な石組みなので何ともなかっし
車も自損事故の保険で直せるので
さしあたって腹は痛まない。
人身事故でなくて良かったわ~~~~~
と胸をなでおろしたのだが、
が、しかし、やっぱり、
「なんでぇ?!」
と考えずにはいられない。
この事故さえなければ
今回、本当に思うようにいろいろなことに恵まれ
母も美代子さんも喜ばせ
帰った甲斐万々だったのに・・・
これがあるばかりに
何だか気分がおもーくペシャンとなるじゃん!!
と、その夜、少し落ち込んだ。
で、考えた。
なぜ、神様は私にその事故を与えてくださったのか。
なぜ、ラッキーなまま帰ることができなかったのか。
そういえば
私の車と夫の車
どっちで帰ろうかな、と考えた折
「こすると嫌だな、パパので帰ろうっと」
と判断したではないか。
実家は昔からの村の中にある。
どの道も細くて
安気に運転ができない。
私の車の方が新しいし車幅もわずかだが広い。
もしもってこともあるし、みたいな感じで夫の車で帰ることにしたのだった。
あーん
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_naki.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_naki.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_naki.gif)
・・・ごめんね、クオリス
そんな理由であなたを選んでしまって。
これがもし
「パパの車の方が運転しやすいし
荷物もたくさん乗るし
狭い道も私の車より走りやすいから」
と考えて選んだなら
この事故を引き寄せはしなかったかもしれない。
「こするといやだから」と
「走りやすいから」は
私の中では同じ意味だったのだが
実際の言葉としてのエネルギーも働きも全く違ってしまう。
前者は「こする」という事実を引き寄せ
後者は「走りやすい=無事に済む」という結果になるのだ。
たとえ、ほんの一瞬のことであっても
否定的な言葉ではなく
良い方の言葉で考えなければならないということを痛感する。
ごめん、ごめんね、クオリス
今度から気を付けるね。
ところでなぜ、私が塀で車をこすったか。
叔母の家の前も車が一台しか通れないような狭い道。
村の中の昔からの道なのだ。
でも、一方通行ではない。
叔母を玄関前のその道でおろした時
「ちょっと待っててね」
と、彼女が庭先に回った。
明らかに私に何かを持たせようとする気配。
おばは、かなりの年で
しかも病後のリハビリ中である。
私は叔母を気遣って
一緒に庭先に回ることにした。
その一瞬、
「車、ここに止めておくとまずいかな?
前から車が来たら、迷惑よね」
と、思ったのだが
母が乗っていたこともあって
「ま、ほんのちょっとのことだし
こんな道、だれもこないよね」
と、自分に言い訳し、そのまま、エンジンだけ切って車を離れてしまったのだ。
ところが、庭先に回るや否やクラクションがひとつ鳴った。
「あ、まずい!!」
と、すぐに車の方に戻ったのだが
車にたどり着く前に
クラクションは再び鳴らされた。
「ごめんなさーい」
と頭を下げながら車に飛び乗り
あわててバックし、
叔母の前の家の空き地に左に切って入ろうとしてしまったのだ。
その時
叔母の家の塀はまだ車の横にあった。
あと50センチバックしていれば、
その塀も切れてなくなっていたのだが
あわてていたために塀のあるなしを確かめずに
まだ塀のあるところでハンドルを切ってしまったのだ。
ここでも
反省しなければならない。
私は車を降りる前にちゃんと
「まずいよ」
「車、来るよ」
という、小さなささやきを聞いているのだ。
にもかかわらず、
「ちょっとの間だから大丈夫だよ」
と、その声を否定し、無視して
そのまま車を離れてしまった。
一瞬のささやき
一瞬の直観
それらに従うことが大事だと常々いろんな本で読んで知っているはずなのに
それができなかったのだ。
もし、あの直観にしたがって
冷静に車をバックし
その空き地に止めてから車を離れていれば
この事故は起きなかったに違いない。
つまりは、小さな内からのささやきを無視した結果なのだ。
みなさま、
一瞬の内なる声
くれぐれも素直にお従いあそばせナ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_ase2.gif)
さらに、さらにもうひとつ。
大きく反省しなければならないことがある。
あの時
もしかしたら私は有頂天になっていたのかもしれない。
前日もこの日も
イマジネーションした通りに事が運び
思ったことが全部できていることに気をよくし
「ほら!!できたわ。
やっぱり、ね。
私って、すごいじゃん!!」
みたいな、奢りを持ってはいなかったか。
口では
「ほんと、有難いよね。
特に親孝行に関しては
神様はよく願いを聞いて下さる。
おかげさまで、全部できて
母も喜んでくれています。
ありがとうございます」
なんて言いながら
心のどこかで
「すごいじゃん!!
思った通りになる」
と、奢ってしまっていたに違いないのだ。
「物事がうまくいっている時こそ
陰の力への感謝を忘れず
謙虚になりなさい」
と、あれほど言われているのに。
「うまくいくのはお前の力ではありませんよ。
奢り高ぶらないように」
と、お叱りを受けたように思うのだ。
果たしてどれが
直接の要因かはわからない。
けれど、このいずれもが
常に心しなければならない大切な事であるのは間違いないだろう。
・・・・・ちなみに
この話を夫にしたら
曰く
「単に運転が下手なだけでしょう?!」
だとさ
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