幸せになろうね 改め しあわせだね

日々の生活の中のほんの小さな出来事をどう捉えるかで
私達はすぐにも幸せになれるのです。

父と認知とわたし

2012年11月04日 21時04分06秒 | ひとりごと
 
 最近、自由律俳句なるものを始めた。

受け入れれば簡単なことゴーヤが苦い

 これは8月に実家に帰った時にふと思いついた句


 何回もの骨折を重ねた父は歩くことがままならなくなり
そのうち、認知症の症状が出て来るようになった。
最初はそれがわからず、よく父をたしなめたりしていた。
が、そうだと分かればそれを受け入れ、その対処法で接するしかない。





 つくつく法師 認知の父は少年になる

夕方、表に連れ出して夕涼みしていた時に出てきた句
まだらに呆けた父を受け入れて、一緒になってその世界に遊んでみれば
それはそれで結構面白い。


 が、やはり老いて病んでいる父や母のサポートをして4,5日実家に滞在するとなんだかとても気が重くなり疲れる。
ずっと一緒に介護している人はどれだけ大変なことだろう。


 介護帰りトンネル抜ければ私


 意識して、離れているときは自分の世界を満喫して生きることにしている。
離れているときに彼らを心配したりはしない。
心配するくらいなら帰って手伝う。
帰らないなら心配しない。

そんな風に割り切って考えている。

介護するのも自分のため。
彼らが逝った後で後悔しないため。

だから
一緒にいるときも離れているときも
私は私のために今目の前にあることを一生懸命に満喫する。
目の前にないことを心配したり後悔したりはしない。



 最近とみに父の認知度は進み、
妹の子供(孫)のことなどがわからなくなる時もある。
いや、もうほとんどわかっていない方が多いようだ。

時々、冗談交じりに「私は誰でしょう?」と尋ねてみる。
答えがなくても落ち込まない自信はある。
受け入れればよいのだ。それだけのこと。

 怒りっぽかった父がだんだんと口数も少なくなり
こちらがうまくつきあいさえすれば穏やかに過ごしてくれる。
ある意味、正常だった時の父より付き合いやすい。

穏やかでいることの多い父を見ていると
もしかしたらこの方が幸せなのかもしれないと思ったりする。

 認知進んで父は平穏秋日和 


 気が付けば、大嫌いだった父に手を貸し
彼の世話をしている私がいる。
許せないと思っていた父なのに
今はもう、そんなことどうでもいいや、と思うようになった。

 もし、父がこんな風にならず突然逝ってしまっていたら
あるいはずっと正気のままの病気になっていたなら
私は今も父を許せないで苦しんでいるかもしれない。

父が何度も骨折して不自由な身となり
おまけに認知症になって記憶や言葉を失っていくがゆえに
私は彼を元の彼とは違うものとして受け入れ
そのうちに元の彼を許し、忘れ得ているのかもしれない。

いわば
父がこんな風になってくれたおかげで私の気持ちは救われているのかもしれないのだ。

もしかしたら、そのために父はこのようなカリキュラムを組んだのかもしれない。

身体を張って私に教え、私を救い、私を成長させてくれているのかもしれない。


求めて、求めて、受け入れられず、認められず、
憎んで憎んで許せずにいた父だったけれど
全てが生前に組んだ互いのカリキュラムであると思えば
そんな役を演じてくれた父に感謝しなければならない。

 


 父はまだ、食欲がしっかりしている。
出されたものは時間をかけてゆっくりと全てたいらげる。
きっと、まだ
しばらくはお付き合いすることになるだろう。

穏やかな世界に入りつつある父と同じように
私自身の心を穏やかに穏やかに保ちながら
残された時間を大切にせねばならない。


 認知の父と手をつなぐ苑 銀杏輝く

父が通うデイサービスの敷地の銀杏の黄葉が夕日に輝いて美しかった。