幸せになろうね 改め しあわせだね

日々の生活の中のほんの小さな出来事をどう捉えるかで
私達はすぐにも幸せになれるのです。

私じゃなくてよかった

2014年04月09日 16時34分23秒 | ひとりごと
 わが庭は岡崎市のど真ん中
ウォーターフロント
リバーサイド
岡崎城址公園

桜の名所である。

先月28日から桜祭りが始まり
この日曜日には家康行列なども行われて
それはそれはにぎわう毎日だった。


 おかげさまで
今年はなんと桜を楽しめたことか。

咲き始める前から
毎朝毎朝
堤のサクラの色づき具合を気にし
朝にはまだつぼみだったサクラが
見る見るうちに開いていく光景も目の当たりにし
八分咲きのサクラ
満開のサクラ
散るサクラ
流れるサクラ
朝焼けのサクラ
夜のサクラ

と、ほんとうに
生まれて初めて
こんなにサクラを鑑賞させてもらった。



 で、夫はサクラを味わうために
この期間中は毎日電車で通勤した。


我が家は丁度、二つの駅の真ん中にあるので
両方の道を楽しむことができた。


せっかくだから
私も毎朝、夫にくっついて駅まで同行した。
「お見送りに」といえば聞こえは良いが
ほんとうは
彼一人にそんないい思いをさせてなるものか、などというあさましい考え?だったかも・・・・・





 そうした朝には
必ず大き目のビニル袋とゴム手袋を用意して出かけた。

なぜなら、菜の花と桜の美しい川沿いの遊歩道に
ゴミがあちらこちら放置されているからだ。


 屋台が出ているようなところは私ではとても拾いきれないし
第一、そんな場所は
市から依頼されている専門家の方々が早朝から掃除してくださる。


 でも、そういう中心的場所から離れたような所には掃除の手が入らない。
そして、悲しく残念なことではあるが
そういう場所にもゴミは捨てられているのだ。

わざわざ桜の木に結んであったり
座って食べたであろう階段にそのまま放置されていたり
草の間にねじこんであったりもする。



 以前はこういう光景を見ると腹が立った。
自分が気持ちよく過ごした場所を
どうして、汚していくのだろうか。
自分のゴミは誰かがどうにかしてくれると思っているのだろうか、
どうして
こんないい加減なことをするんだろう!!


 と、いつも愚痴っていた。


 けれど、この頃は微妙に感じ方が変わってきた。


どんなところにも善い人と善くない人はいるものだ。
その善い人にも、善くない人にも
分け隔てなく美しい景色を提供してくれる神様(自然)ってすごいなぁ、えらいなぁ。
人がゴミを結わえていったからって
怒ることもせず、変わらず咲き続ける花たちって器が大きいなぁ、

なんて
むしろ感心してしまうのだ。
そうして
無性にありがたくなってしまう。




 とはいえ、わが庭がゴミにまみれているのは何とも気持ちがよくない。
ゆえに、ゴム手袋をはめて目に付くゴミを拾うという行動になるのだが
その時に思う。


 平気でゴミを捨てる人格じゃなくて良かった、
ゴミを拾おうと思える人でよかった、
ゴミを捨てるのが私じゃなくて良かった、
拾う方でよかった、

・・・と。


 

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